【第98期講座】2007年07月-2007年12月

羽生 善治の講座リポート


■はじめに
将棋棋士の羽生善治氏は、6歳から将棋を覚えて中学生にはプロ棋士となる奨励会四段に昇段し、史上3人目の中学生棋士となった。23歳で九段に昇段し、26歳には「七大タイトル」全てを独占し、史上初の七冠王となったことはあまりにも有名である。

本講座では「現代的な決断力とは」と題して、羽生氏の目にうつる現代社会の姿と人生のあり方について語っていただいた。
■情報の選択と決断
将棋では定跡(じょうせき)があり、これらをどれだけ記憶し覚えるかが大切であるといわれる。しかし羽生氏によれば、最近は対局において定跡をどれだけ記憶し覚えているかはたいして役に立たないという。これは現代社会が、情報が氾濫しており、どんな分野の情報でも短期的に確実に手に入れることができるといった環境にあることと無縁ではない。将棋の世界でも定跡をはじめとしてあらゆる情報が一気にかけめぐっており、定跡どおりの対局では対応できなくなってきているとのこと。

そこで羽生氏は、「個性」「アイデア」「独自の発想」「創意工夫」が大切になってきており、過去の定跡にとらわれない自在な発想が必要となってきているといわれる。

将棋の世界には伝統や格式などのしきたりを重んじることが当たり前とされてきたため、独創的で自在な発想を異筋とか異端といわれて白い目でみられることが多かった。しかし、最近は「こうやってみたら」とか「こういう発想はどうか」というように、過去の定跡やしきたりにとらわれない自由で挑戦的な発想が受け容れられるようになってきているとのことである。

たくさん溢れている情報の中から何を選択し、そこに独自的で自在な発想をもって「一手」を指すといった決断は、将棋の世界だけではなく現代社会のおかれている共通の問題ではなかろうか。

■直観・読み・大局観
羽生氏は、「10代で学んだ定跡や知識が対局において、そんなに役に立っているとは思えない」という。具体的・現実的にこの学びは何だったのかと思うこともあるとのことだが、これは10代で学んだことを決して否定しているわけではない。むしろ一生懸命学んだことを通じて、知識や技術の理解や習得をするために何が必要なのかが体験的にわかるので、新しいテーマについて学び吸収するときに大きな力になっているという。知識を得るために時間をかけ、努力し、辛抱することによって身につくという経験に基づく『智恵』が大切なのだと強調しておられた。

よく将棋の棋士が何手先まで読むのかについて聞かれることがあるらしい。ある著名な棋士は「ひとにらみ二千手」と答えたそうだが、羽生氏は「それは簡単には答えられないですね」と微笑みながら語る。

「読み」について羽生氏の解説によれば、まず局面をみて直感をはたらかせることから始めるという。この直観とはひらめきということではなく、今まで蓄積された知識・経験の集大成のなかからこの局面に必要ないものを捨てていく作業であるらしい。したがって、何手先を読むというよりも、カメラで写真をとるときの焦点を合わせるように中心にピントを合わせるといったイメージ。その中から良さそうな手を調べ、そこから深く考え、シミュレーションをする。したがって「ひとにらみ二千手」というのは大げさな物言いではなく、それ以上の選択を瞬間的に行っているともいえるのである。

また、もうひとつ大切なことが「大局観」であると羽生氏は指摘する。
大局観とは、全体像を把握し戦略的に方針や方向性を見極めることである。攻めるのか、あるいは待つのかという情況判断をして具体的なベストは何かを導き出すのは大局観によるものだという。

羽生氏は、定跡や知識、記憶を駆使する「読み」は若い頃の方が優れているし、「大局観」はさまざまな経験を積んだベテランの方がよく磨かれているという。これは成長の過程の中で年代によって磨かれるものを示唆していて大変興味深い。

■プロとアマの違いは『羅針盤』の正確さにある
直観と読みと大局観によって、限りない選択肢から一つの手を決断する。しかし、勝負が読み筋どおりにならないこと、予想外のことが起きるとき、そこからまたベストの一手を見出さなければならない。羽生氏は「五里霧中のなか、暗中模索のなかで一歩ずつ前に進み、決断しています」と語っている。超一流の棋士の羽生氏であれば、読み筋も確かで予想外のことなどないのではと思ってしまうのだが、勝負は常に一歩ずつ前に進めるための決断によるとの言葉は意外なものだった。対局で対戦相手との力が拮抗していれば、当たり前のことなのかもしれないが、ひたすら勝負を繰り返して勝ち続けてきた羽生氏のすごみを感じる瞬間でもあった。

羽生氏は、「読み筋どおりのパーフェクトな勝利を手にするのは年に1回くらいのこと」だという。だから対局では何らかのミスが出るのは仕方がないので、そのミスをどうカバーするかが問題であると指摘する。

そこで大切なのは「ミスを重ねないことだ」と羽生氏は語る。
そのときにプロのもっている『羅針盤』はミスを重ねないためにどの方向に行けばよいかを正確に示すらしい。アマチュアのもつ『羅針盤』はたぶんに精度が悪く、どの方向かを明確に示すことができないで、結局はミスを重ねてしまうのだという。

羽生氏は、ミスの連鎖が始まる理由として(1)精神的に冷静さを欠き、客観的にみることができなくなること、(2)順調に行っているときにはすべてが整っているので判断しやすいが、ミスをすると面が混沌とするので選択すべきものがわかりにくくなり、羅針盤がきかなくなることを挙げている。

(1)のメンタル面で冷静さを欠き、客観的にみることができなくなるのは、どうしてもそのミスが記憶に残ってしまうことが大きいという。そのことが頭から離れず、悔恨の想いにとらわれてコントロールが難しい。これについて羽生氏は「だから忘れるというのは大切なんです」と強調しておられた。過去のミスにとらわれず、これからどうするかを考えることである。(2)についても、乱れて混沌となった情況をよくみるのにもメンタル面が大切となる。ミスの連鎖を防ぎ、新しい道を見いだすためには、知識と経験に裏付けられた強靭な精神力と羅針盤が必要なのであろう。

■大局観とチャレンジ精神


年齢と経験によって「大局観」は磨かれる。ひとつのミスに対して、大局観が磨かれることで選択肢を増やすことができる。それによって、いくつものプランが思い浮かび、方向性を整えることができ、ミスを重ねることはなくなっていく。

しかし、「この大局観を間違えなければ大過なく平均的にゆくことができる。これに頼りすぎるとミスは少ない代わりに冒険や挑戦を避けることにもなりやすく、リスクを回避しすぎてしまう。長期のスパンでみたときに、大きな流れや勢いを殺してしまうことにもなる」と羽生氏は自らを戒めている。無茶と言われることや向こう見ずと言われることの中に、ときとして勢いやツキを呼び込むこともあるのだという。

羽生氏が語る言葉は淡々としているのだが、無理がなく、あくまでも自然体といった印象が強い。勝負の世界に身をおきながら「ツキ」とか「ゲンをかつぐ」といったことに無頓着であるようにみえる。「ツキとか運というのはとても魅力的で魅惑的です。これらの不確定なものにとらわれてしまうと努力や辛抱を軽視することにもなりかねません。これに惑わされないように注意すべきだと思います」と羽生氏は明言する。

羽生氏が、あくまでも自身の大局観から離れることなく、チャレンジ精神も失わず勝負すること。プレッシャーをはねのけ、勝利を手にするために闘い続けるという精神力の強さはいったいどこからくるのだろうか。

羽生氏はプレッシャーについて、「その人の器に応じてかかってくるものだ」と定義づけている。つまり、与えられた目標が達成できるかどうかわからないといったレベルにある人に襲ってくるのがプレッシャーなのだという。もうちょっとの努力と辛抱でブレイクスルーできるかもしれないというところを誰よりも自分が知っている。だからこそプレッシャーを感じたときに、ここを頑張れば突き抜けられるという希望に変えて挑戦すべきではないかというのである。

■「まとめ」にかえて


羽生氏によれば、トップクラスの対局での勝負はぎりぎりのせめぎ合いで進んでいくという。いうなれば大局観と大局観の闘いということにもなるだろう。お互いを理解しながら静かに勝負は進んでいくという。

しかし、若手で勢いのある人とか波に乗っている人との対局は「受けとめるのは大変」であるらしい。無茶とか向こう見ずの荒々しさに向き合うのは大変なエネルギーが必要であるが、羽生氏はこのような対局にこそ学ぶことが多いという。勢いのある人との対局によって自分自身が新しい発見をし、進歩することができる。その対局の中で相手の勢いや波に乗るといったことが自分自身にも伝染していることに気づくらしい。

羽生氏は、自分自身がもっていないものを相手から受け取ることで、新しい世界を発見できること。お互いに影響し合っていることに気づくことが大切なのだという。これには自己が確立したプロ同士という大前提があることを忘れてはならないだろう。どちらかが自己を見失っているなら、相手の強さに押し流されてしまうだけでなく、学び合い影響し合うということが成り立たないからである。

そこで羽生氏は『6次の隔たり』(仮説)にも言及している。
『6次の隔たり』というのは「例えば、43.15人の知り合いを持つ人間を6人介すと43.156=6454829873.820447015625となり、地球の総人口6453581351人を上回る。つまり43.15人の知り合いを持つ人間は世界中の人間と6人を介して、間接的な知り合いであるという事になる」(ウィキペディアより)というイエール大学のミルグラム教授の仮説である。つまり、地球上の60億人は私と大変な距離にあると思われるが、実は密接につながっており、人と人の関係が大切なのだと。

ITによって地球の時間と空間は一気に縮んだ。地球上にある情報はすぐに共有化され、知りたいことや学びたいことがあればすぐにその方法を知ることができる。『6次の隔たり』が下地になっているのがSNSに代表されるネットワークサービスであるらしいが、クチコミならぬネットコミによって世界はどんどんつながっている。これが加速するほど「私が何をしたいのか」を明確にもっていなければ、情報の波に飲み込まれ、漂流してしまうかもしれない。

羽生氏は「決断・判断しなければならないことが増えている」と指摘し、ひとり一人に現代的な決断力が要請されていると強調する。決断するためには、直観・読み・大局観が必要であり、運やツキに頼らずに日頃からの努力が求められる。なかでも大局観とは、いうなれば人生観であり世界観である。したがって人生のビジョンをどう描くかが問題となるわけで、そのあるべき姿について考えなければベストの一手を指すことはできない。

羽生氏の示したプロの羅針盤は、私たちの人生の羅針盤の精度を上げることへの大きな示唆ではないだろうか。



本リポートはTCC会員様の特典となっておりますので、転送・配布等はご遠慮ください。

2007年8月17日発行  NPO法人ザ・シチズンズ・カレッジ

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 【質疑応答】

■Q:最初の一手は何を考えて指していらっしゃいますか?
羽生:そうですね。最初の一手は事前に決めていることが多いので、何も考えていないです。対戦相手がこうやってくるということはわかっているので、最初の一手くらいは決まっているのです。若干、気持ちを落ち着けて、お茶でも飲んで一手目を指しますけれども、そういう感じです。(笑)

■Q:独自のデータの蓄積方法などはあるのでしょうか?
羽生:たくさん覚えて、たくさん忘れることですね。しかし大事に覚えておかなければならないことがあるので、・・・大事に覚えておくことはパソコンの画面上で覚えるということはしません。短時間でたくさん見ることができるのは良いのですが、それはすぐに入ったらすぐに出ていってしまうような感じなのです。それで盤と駒に出して手を動かして、並べてみるとか、他の目で見るだけではなくて、手を動かすとか、聴くとかしゃべるとかそういうのを合わせていると結構、持ちがいいというか、・・・それでも忘れてしまうのですが(笑)見たものだけはすぐに忘れてしまうので、他のものを使うということはやっています。身体の五感を使っている方が絶対に記憶に残ります。

■Q:今まで一番苦しかった時期というのはありますか?
羽生:20歳くらいのときですかね。勢いとか向こう見ずとか、恐いもの知らずでやってきて、それだけではうまくいかないというか、それだけでは上位の方では通用しないなという感じをもったときというのがそうですかね。

■Q:そういう時期を脱出できたというのは?
羽生:それは「読み」ということではなくて、「大局観」をもって徐々に感じられるようになってきてから、というところでしょうか。

■Q:将棋以外のことでも決断力は早い方でしょうか?
羽生:レストランにいってメニューみてもすぐ決まらないですね(笑)あれはぜんぜん決断できないですね。アラカルトが一杯あるのは全然だめですね。定食とかあった方がいいですね(笑)。

■Q:リラックス方法などは?
羽生:ボーっとしていることです(笑)。旅行や水泳なども好きですが・・・最近面白いと思っているのは「数独」で・・・なかなか解けなくて腹が立つのですが(笑)。

■Q:第一線で活躍し続ける秘訣は?
羽生:そのときどきでベストを尽くすとしかいえない。バイオリズムやツキ、運などもいいときも悪いときもあるので、そのときどきにそれなりにベストを尽くすというというところでしょうか。ここ10年くらいで一番変わったところは、ひきずらないというところがすごく大切な要素ですね。それは忘れるということです。良いことも悪いこともひきずらないということですね。忘れるというのはいいことですね。最近は意識していなくても忘れるようになっているので(笑)。やはり10代の時のほうが何か残るんですよ。だから一局とかの記憶が痛烈なので、なかなか気持ちが切り替えられないということがあります。今はすぐに忘れてしまうので、そうすると一からとかゼロからとか、また次に向っていこうという気分になります。忘れるというのは良いことだと思います。年齢と共に出来るようになってきましたね(笑)。

■Q:勝負どころというのは?
羽生:それが分かるときは非常に調子の良いときですね。そういうときはカンも冴えているときなので、そういうのがパッと見えるんですね。そうでないときは勝負どころを逃した後にわかる。もう後の祭りというやつですね(笑)。そこで考えてもダメなんだと、そこが難しいところですね。

■Q:時間が短くなってしまったとき、どういう対処がありますか?
羽生:時間が迫ってくると逆に集中力が増すということがあります。締切りが迫ってくると力を発揮するみたいな、そういうところがあります(笑)。普通に過ごすと怠けるというわけではないですが、どこかフル稼働していないところがあるという感じがしますね。それこそ切羽詰まっているとか、ここは本当に踏ん張らなければまずいとか、そういうときはもっている本来の力というかそういうものを結構発揮できるときなのではないかなと思いますね。普通追い込まれないとやらないですよね。何もしないと怠けるということではないけれど、どこかゆるみというのが出てしまう。追い詰められて、追い込められて時間が迫ってくるとか、そういう状況になって、初めて眠っていたものが花開くといったところはあると思っています。

■Q:対局はどのようなロケーションで行われているのでしょう?
羽生:タイトル戦のような大舞台の場合は、旅館とかホテルのような和室で対局をしています。それ以外の予選は、東京だと千駄ヶ谷で、大阪は福島の将棋開館で一斉に行われます。ごく稀に一般の方も観戦できるような公開対局というのも行われますが、ただ非常に時間が長いので、朝の10時から夜の12時、1時くらいまでかかるので、観る人があきてしまう(笑)という問題がちょっとあるんですね。ただそういう機会をこれから先は増やしていった方がいいとは思っています。
野球ほどの時間で終わるくらいの持ち時間での対局を、このようなホールとかで見ていただくような機会をたくさんつくっていくというのが、ある意味将棋の世界を一番理解してもらえるベストの方法なのかなと思っています。

■Q:棋界のリーダーとして期待されていると思うのですが?
羽生:そうだと良いのですが、(笑)今は競争が激しい。若手の人とかでも、すごい実力もあるという人がいます。ただ変な言い方ですがまじめになったというか、一生懸命やっている人が将棋の世界ではすごく多いのです。ご存知のように、四段からがプロとして認められます。それで待遇の面では三段と四段のところが一番違うのです。たとえば四段になれば給料も出て、公式戦にもすべて参加できて、会員として認められてというすごい保証があるのです。三段はそういうものがゼロです。実力は紙一重の差なのですが、そこを突き抜けるのが一年に4人です。30人から40人のうちの4人です。そのときには死に物狂いで勉強するのです。30代の人が第一線で活躍しているということが多いのですが、ちょっと油断し、ゆるんでしまうと、すぐに入れ替わってしまう厳しさが実感としてあるし、若い人が登っていく階段が、私のときよりもだいぶ今の方がきつくなっていることは感じています。これから先輩のもっているもの、培っているものを表現していけたらいいなと思っています。

本リポートはTCC会員様の特典となっておりますので、転送・配布等はご遠慮ください。

2006年8月17日発行  NPO法人ザ・シチズンズ・カレッジ