【第106期講座】2011年10月-2012年03月

黒川 伊保子の講座リポート



■はじめに
 人工知能の研究から脳科学のエキスパートとして活躍する黒川伊保子氏は、男女の脳機能の違いについてわかりやすく解説をしてくださった。
  「たしかにそうだなぁ」と頷くことや、「そうだったのか」と感心することが多く、男女の脳の機能がどのように違うのかを知ることになった。そこには男と女のコミュニケーションの難しさと素晴らしさを感じ取る智恵を手にすることができたのではないだろうか。

■女性脳は、積分脳である
 黒川氏の解説によると、「女性脳は長い文脈を楽々と扱うことができます。たとえば子どもが熱を出したら、過去の関連記憶を想起して、今何をしたら良いかを導きだします」と語り、過去の出来事を蓄積する「積分脳」であるという。だからこそ女性は夫の無神経な発言は過去のすべての無神経な発言を想起して傷ついてしまうのであり、「今の一回」に傷ついているのではなく、過去の集積に傷ついてしまうということらしい。
  また「女性脳は繰り返し思う脳であり、愛する人のことを日常に何度も思う」ものだと指摘する。だからこそ女性は、夫がメールの返信をしないとか、夕食が要らなくなったと連絡しないなどというような「すっかり忘れている時間」にむかついてしまうらしい。
  そこで男性は女性からの答えようのない質問に対して善処しなければならない。「仕事と私とどっちが大切なの?」とか「あなたって、どうしてそうなの?」という質問に、男性は真剣に考え込んでしまうことが多い。真実は両方大切となるが、女性が求めているのは「ずっと思っている」ことであるので、やはり「君が一番大切だ」と答えるのが正解だ。しかし男性はこのように言い切ることがなかなかできずにいるようだ。
  これらの機能の違いはどこからくるのだろうか。

■女性脳は右脳と左脳をつなぐ脳梁が男性と比べて20%太い
 イメージ脳とも形容される右脳は、言うなれば「感じる脳」である。それに対して左脳は言語や秩序を紡ぎだす機能がある。脳梁が太いというのは、それだけ左右の脳の連携が頻繁に起こり、感じたことがどんどん言葉となってあふれてくるのだ。
 女性が長々とおしゃべりができるのは、ひたすら感じたことが言葉となってあふれてくるからである。男性は女性がしゃべりつづけているとき、「結論は?まとめて言ってくれる?」と問い詰めたくなるが、それではコミュニケーションが切れてしまうので注意しなければならない。そこには深い共感が必要であり、延々と話を聞くこと大切なのだという。
 男性脳は左右の脳をつなぐ脳梁が女性よりも細いので、感じる脳に影響を受けにくく、ものごとを客観的に分析し全体を俯瞰する機能が発達するようになる。女性は男性が何をしていても語りかけてくるのは当たり前のことだが、男性は同時に複数の処理をすることができずイライラしてしまうことが多い。黒川氏は「男性にはやさしい沈黙が必要なのです」と指摘し、男性脳はどのような人の話に対しても「この話のゴールは何か?どういう順番になっているのか?」を心のうちで考えてしまうので、畳み掛けるように話をされると混乱してしまうと分析する。さらに黒川氏の「男性がポーッとした表情になるときは、なんとか話を理解しようとしている一生懸命な表情であると理解してください」との言葉に思わずひざを打って頷いてしまった。なんとも反応のない男性の表情や態度をみて、女性が「あなた、私の話を聞いているの?」とイライラしてしまうのは男性脳の機能への理解ができないことからくる問題だったのだ。(笑)
 黒川氏が指摘するように基本的な男女の脳機能の違いを知れば、お互いに認め合うことによってその特長を組み合わせることが可能であるし、新しい創造がなされていくのではないかと思う。
  まさに男女のコミュニケーションは異文化コミュニケーションそのものであった。まずお互いの脳機能について知ることによって、家庭や会社でのコミュニケーションのあり方が創造的になってゆく。そして男女の脳機能の知らないために起こっているトラブルを減らすことができるに違いない。

 最後に黒川氏は人生において大切なこととして「人生の達人は他人の多くのことを気にしません。にもかかわらず、多くの人を惹きつけて期待以上の思いを引き寄せるものです」と語り、テクニックとしてのコミュニケーションを学ぶよりも、あなたの人生そのものを高めることを求めるべきだとの指摘は心に染みた。


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■スタッフの独り言
 黒川氏によれば、物忘れは40代から始まるという。これらの物忘れは「あの人は誰だっけ?」「あれ、あれ、あれは?」という固有名詞がほとんどなので、さほど問題はない。しかしこの物忘れが一般名詞に及ぶと少々大変だとのこと。たとえば『しゃもじ』を手にして「これはなんだっけ?」となると、その『しゃもじ』の使い方も忘れてしまうということ。モノに名前があるというのはすごいことだと再認識。
 旧約聖書の創世記には、神が最初の人間アダムにエデンの園にあるすべての生き物に名前をつけさせたとあるが、モノに名前をつけることは創造そのものではないだろうか。命名というように名を命とするならば、名前を忘れるときに命の意味を同時に失うことにもなる。名前は存在の意義と価値を象徴しているし、名をもって初めてその存在に命が宿るということではないかと思う。


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