【第106期講座】2011年10月-2012年03月

辻井 いつ子の講座リポート


 2009年6月7日、アメリカで開催された「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」で辻井伸行さんは優勝の栄誉を勝ち得た。日本人初の快挙としてメディアが一斉に報じ、当時20歳の辻井伸行さんは一躍時の人となった。
  辻井伸行さんはすでにピアニストとしてショパンコンクールをはじめ多くのコンクールで優秀な成績をおさめていたが、視覚障害をものとせず日本人の誰もが成し得なかったヴァン・クライバーンでの優勝は多くの人々に驚きと感動をもたらした。伸行さんは凱旋した日本での記者会見で「すべては両親のおかげです。母に感謝しています」と述べた。両親の深い愛情のなかで育まれた豊かな才能が花開いたことを素直な感情として表現できるのは実に素晴らしい。
  伸行さんは生まれながらに視覚障害があり、母・いつ子さんは深い絶望の淵に立たされ、伸行さんをどのように育てたらよいか悩み迷ったそうである。しかし生後8ヶ月になって伸行さんがショパンの英雄ポロネーズを聴いてそのリズムに合わせて手足をばたばたさせる姿をみて、「この子には音楽の才能があるかもしれない」と気づいた。
  それから母・いつ子さんは伸行さんに小さなピアノを与えたところ、2歳3ヶ月のときに母・いつ子さんのジングルベルの歌に合わせてピアノを弾くようになっていたという。伸行さんが大好きなピアノを楽しく続けられるようにと、母・いつ子さんはさまざまにサポートをしてきた。その子育ての信条は①「らしさ」をみつける、②好きなことに対してフォローの風を吹かせて、③よいところをサポートしていくところにあるという。
  また伸行さんに対して父母としての役割分担は、父は厳しく躾けること、母・いつ子さんは常に褒め続けるというように、それぞれの役割のバランスが絶妙にとれていたのも、伸行さんの才能が大きく開花した秘訣のひとつだったに違いない。
  ところで母・いつ子さんは伸行さんをピアノコンクールに参加させたとき、周囲の尋常ではない雰囲気に圧倒されたという。子どもに同伴する父兄の血走った目は、子ども以上にピアノコンクールへの情熱にあふれていた。その叱咤激励する父兄の子どもへの姿勢はわからないではないが、伸行さんと二人三脚でピアノを楽しく弾いてきた世界とはかけ離れている。母・いつ子さんは伸行さんの心から「ピアノが大好き!」という世界を大切にしてきたのであり、最初からピアニストを目指すというのはまったくなかったため、このような雰囲気や風景には大きな違和感があったという。
  ピアニストとしての喜びを知ったのは、家族でグアムに旅行したときのレストランで自動演奏のピアノで音楽が流れていたときだった。伸行さんはピアノが弾きたいと言い出したので、レストランに断られるかもしれないがとにかく頼んでみたところ、快くピアノを弾かせてもらえることになった。するとピアノの周囲に人が集まってきて伸行さんのピアノ演奏を聴いていた。演奏が終ると周囲に集まってきた人々が万雷の拍手で伸行さんを包んだ。言葉もわからない外国人ばかりだったが、それでも大きな拍手と温かいハグは伸行さんに感動として伝わっていった。伸行さんは自分のピアノ演奏が多くの人に喜んでもらえることを知った瞬間だった。ピアノが人を喜ばせること、大きな拍手を受けることがこんなに嬉しいと実感したこのときにピアニスト・辻井伸行が誕生した。
  母・いつ子さんが伸行さんの「らしさ」に気づき、それを伸ばすために「フォローの風を吹かせ」て、そのときどきに伸行さんに必要ないろいろな人との出会いをもたらした。そしてどこまでも「よいところをサポート」し続けてきたことが、伸行さんの素晴らしい才能を開花へと導いた。
  人間の能力や可能性は無限に開いているというが、誰かが「らしさ」に気づいて、それを褒めて、認めてやらなければ、開花する方向には進まない。その人の「らしさ」を発見するのは、声なき声に耳を傾け、見えないものを観るという集中力が求められる。この集中力はその人を大切に思う愛情から発せられることを母・いつ子さんと伸行さんの物語から教えられる。