【第96期講座】2006年07月-2006年12月

千住 博の講座リポート


■はじめに
日本画家・千住氏は、ニューヨークを拠点にして芸術活動を展開しておられ、'95年第46回ヴェネチア・ビエンナーレ絵画部門では東洋人初の優秀賞を受賞し、2002年第13回MOA美術館岡田茂吉賞絵画部門大賞の受賞をはじめ、大徳寺聚光院別院の全襖絵、羽田空港第2ターミナルの天井画等のデザインをてがけるなど、その活躍の場をひろげてこられた。
今回の講演では、千住氏の第一級の芸術活動に裏打ちされた深い洞察に基づき、「美」や「芸術」についてわかりやすく語っていただいた。それは現代社会の問題に対する芸術の可能性にまで及び、私たちの芸術に対する見直しと再評価をすべきことに気づきを与えていただいたように思う。

■中国の世界遺産「九寨溝」の圧倒的な美との出会い
千住氏は中国の‘92年に世界遺産に登録されたある九寨溝を訪れ、そこにある圧倒的な美に目眩(めまい)がしたという。
九寨溝では100の湖があるが、まだ20ほどしか名前がつけられておらず、人口的な加工をうけていない手付かずの自然がそこにある。この湖は森に囲まれており、ほとんど水面が動かない。まさに「水鏡」であり、湖は鏡のように林や樹木を映し出している。また山々の紅葉は想像を絶するほどの美しさであり、湖面に映ったその美の世界に圧倒されてしまったと千住氏は語っている。

この自然の圧倒的な美を成り立たせているのは、2000メートル以上の高地であり、温度差の激しい厳しい自然環境である。この厳しい環境の中にチベット族が暮らしている。もともと九寨溝というのはチベット人の村が9つあるところから名づけられたらしいが、千住氏もこの村々に暮らす人々や子どもたちと触れ合う機会があったとのことである。子どもたちやそこに暮らす人々をみると、そこに自分自身が見えてきて懐かしさと同時になんともいえない心のつらさや哀しさがこみ上げてきたという。千住氏はこのときどうすることもできない人間の「業」(カルマ)を感じて、この心のつらさや哀しみはこの圧倒的に美しい風景でしか浄化できないのではないかと思ったという。美しく、厳しく、やさしく、過酷であるという「ここ」にこそ、人間と自然の根源があるということであろうか。

■美とは何か?・・・惜しみなく降り注がれる「美」がある
千住氏は、九寨溝の圧倒的な美の世界に出会い、あらためて「美とは何か?」について考えてしまったという。小林秀雄は「美があるのではない。美を感じる心があるかないかだ」と美を定義したが、千住氏は「受け手の心によって美が存在する」という考え方だけでよいのだろうかという疑問が沸き起こってきたらしい。

人間に美を感じる心があろうとなかろうと「美は存在する」のではないかということである。九寨溝の自然の美は太古の昔から在りつづけており、いうなれば「惜しみなく降り注がれている美」としてあるのではないか。なにゆえに惜しみなく降り注がれているのかを想うと、それこそがまさに「神」なのではないかと。千住氏は、西洋の合理主義では説明できない、私(自我)を超えた永遠から永遠に向っていく「美」があるのではないかと指摘する。

■美とは五感すべてで感じるもの
フランスの写真家のソフィ・カルが「盲目の人々」という作品の中で、あなたが見た一番美しいものは何ですかと問いかけている。生まれつきの盲目の人が一番美しいというものを紹介しているのだが、とても刺激的である。ある少女は「緑は美しい。私が何かを好きになるたびにいつも人は『それは緑だ』と言います。草は緑だし、樹々も、葉も、自然もまた緑です。私は緑の服を着たい」と紹介されている。

目が見えなくても、美を感じることはできる。

美とは五感のすべてをはたらかせて感じるものであるからだ。千住氏は「クロード・モネの有名な作品に睡蓮があります。モネは太陽の暖かい光とひんやりした陰、そこにある匂いや皮膚感覚など複雑にからみあった混沌を表現している」として、美という世界は複雑で混沌としており、五感のすべてをはたらかせて感じるものだと指摘している。

■「美しい」と「キレイ」の違い
千住氏は「美しい絵を描くのはよいけれど、キレイな絵を描いてはいけない」と指導するという。キレイとは何かをわかりやすくいえば、掃除や整理を想い浮かべるとよい。掃除や整理をするとは、必要でないものを捨てるということである。捨ててしまったモノの中に私に本当に必要なものがあるかもしれない。だから、一枚の画面にすべて描き込んでみるべきだと千住氏は主張する。けっしてキレイにしてはいけない。感じたすべてを描き込むことにより、本当の美がみえてくるということであろうか。

■美を鍵穴にした「芸術」とは?
千住氏は「美とは五感を通して、ある種の未整理な混沌に対しての反応である。それは人間が感じるかどうかは別として、そこに存在している」とまとめておられた。

また、主知主義がつくりだした言葉に「芸術」がある。これは西洋で生まれた概念であるが、千住氏はこの美を鍵穴とした芸術というものは単に人間がつくりだしたという以上の根本があるのではないかという。

それでは千住氏の考える「芸術」とはなんだろうか。
人間の芸術を遡ってゆくと氷河期の洞窟に描かれた壁画にいたるという。スペインのアルタミラ洞窟の壁画やフランスのラスコー洞窟の壁画が有名であるが、千住氏はドイツ・ミュンヘンにあるドイツ博物館に精彩に再現されたアルタミラの壁画を何度も訪れているらしい。氷河期を過ごした人間が洞窟でどのような芸術活動を行っていたのか、そこにどういう意味があったのかについての千住氏の考察には深みが感じられた。

アルタミラ洞窟の壁画は、実際は壁ではなく天井に描かれている。そこには牛や鹿、バイソンなどが描かれているが、よくみると牛に似た岩に牛を描き彩色しているとのことである。そして最近の研究では、人々は牛や鹿やバイソンといった動物を狩猟して食べてはいないという結果が報告されているらしい。何を食べていたかといえばトナカイであるらしく、その壁画にはトナカイは一枚も描かれていないとのことである。まだ教科書には載っていない研究の成果とのことであり、大変興味深い。

それではなぜ、牛、鹿、バイソン、豹であるのか?それは三日月のカタチをした角や牙をもった動物であることから、「月」と関係しているとみられていたのではないか。月は太陽が沈むと夜の星と共にあらわれ、毎日、カタチが変化する。しかも28日周期で満月にもどり、また欠けていく。その月の満ち欠けが自然に影響を与えているとの感覚は強かったのではないか。そこで三日月のカタチをした角をもった動物は月と交信できると考えたのかもしれない。千住氏は、天井に聖なる動物を描くことで、月となんらかの交信を試みたのかもしれないと語る。

アルタミラ洞窟の壁画は「氷河期のシスティーナ礼拝堂」と称されている。

千住氏は、洞窟にいた人たちは氷河という絶望的な環境の中で壁画を描くことにより「人間になった」と表現する。つまり人間の進化は芸術によるものだと。岩を削りながら壁画を描き、そこに同席する人々は骨を叩いて音を出し、祈りを捧げる。そういうコミュニケーションの蓄積が、人間を人間にしてゆくエネルギーとなったのではないというのである。

芸術とは、「人間が進化していく過程のあるプロセスのことである」と千住氏は定義する。そして「美という鍵穴にしながら、人間のイマジネーション(想像力)をコミュニケーションにしていくことが芸術である」という。

■芸術はイマジネーションをコミュニケーションにすること
芸術はたとえ答えが返ってこなくても、永遠に問い続けるものである。千住氏は、すべてに対して啓かれたコミュニケーションであり、わからない人にも何とかわかってもらいたいとするコミュニケーションなのだという。したがって、オタクはわかっているもの同士でしか相手にしないので、芸術ではないと指摘する。

またピアノとバイオリンは、生まれも育ちも個性も、何もかも違うけれど、合奏すると素晴らしい音楽を創造する。異質なものが合奏することで調和し、素晴らしい音楽をつくるというのは芸術がもたらす重要なメッセージであると千住氏は強調された。
千住氏の創作活動においても、黒の下地に白い滝を描く。黒と白は相容れない極にある色だが、その極にある黒と白を調和させて素晴らしい絵画を生み出している。

■21世紀に求められるのは芸術的発想
日本画において、戦国時代に描かれた「四季図」「日月図」というものがある。千住氏はこの一面に春夏秋冬という四季を描くという、まったく違った価値観や個性をひとつに調和させてなお美しいという世界をみたとき、芸術がもつ平和創造のプロセスの可能性を表現していると感じたという。

芸術は人々に共感をもたらし、違った個性や価値観を結びつける力があるという。芸術のあるところにコミュニケーションが生まれ、異質なものが融合されて、平和創造のプロセスを実現するというのである。

■■「まとめ」にかえて
千住氏によれば、芸術とは「私が美を感じたとき、そのイマジネーション(想像力)をコミュニケーションしようと思う心」である。

千住氏は、「家に帰る途中に花屋があって、私が美しいと感じたならその花を買い求める。家に着いたら食卓に花を活け、家族に『これは美しいと思った』といえば、これは立派な芸術である」と語られた。

芸術力が人間を人間にならしめたとすれば、千住氏が指摘するように、すべての人々が美しいと感じて、そのイマジネーションをコミュニケーションするなら、この世界は愛と美に満ちた平和なものとなるにちがいない。

本リポートはTCC会員様の特典となっておりますので、転送・配布等はご遠慮ください。

2006年11月13日発行  NPO法人ザ・シチズンズ・カレッジ

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 【質疑応答】

■Q:ニューヨークを拠点として選ばれた理由は?
千住:私はニューヨークに暮らして14年になります。年間200日ニューヨークに過ごしておりまして、あとの100日くらいが日本で授業や講演会、また展覧会の打ち合わせなどをして過ごします。困ったことにニューヨークという町からはどうしても撤退をすることができません。その理由のいくつかを紹介したいと思います。 まず絵画、彫刻、音楽、またブロードウェイのミュージカルなど、あらゆる芸術活動をするさまざまな人たちがニューヨークにかかわっています。それはニューヨークが芸術というものに対して非常に深い関係のある町であると考えていただければと思います。

千住:ひとつに、ニューヨークの気候のことを考えみます。夏はプラスの40度で、冬はマイナスの20度になります。温度差が60度ありますね。このことが私たちに何を伝えてくれているかといえば、「健康でないと生きていけない」ということです。よく芸術家は朝から酒飲んでヘロヘロになっているとか、ひどい場合は麻薬でも打ってそこらをフラフラしているのではないかと誤解されますが、そういうことでは多分生き残れないのですね。とにかく健全さが求められていて、ある意味では肉体の健康さが何よりも大切だと教えてくれているのです。ですから私も今日も昨日もジムに行って身体をトレーニングしてここに来ているわけです。少しの時間をつくって身体のトレーニングをすることなくしては、実は絵画という行為も過酷な労働なので大変なのです。現場の肉体労働ですからから、これは(笑)。どうしても身体がひん曲がってしまうので、バランスをとるような全身運動をしていないと、また筋肉をうまくつけていかないと、どうしても偏った身体になってしまいます。本当に健康な健全な意識があってはじめて美しいものをみて美しいと思う、美味しいものを食べて美味しいと思う。健康があってこそ、人種とか民族とか国境とかではなく、人間というレベルで芸術を人に伝えていこうなどというエネルギーが沸いてくるのではないかと思うわけです。ニューヨークが教えてくれている第一はとにかく健全な肉体があってはじめて、それをなんとか人に伝えていこうという、時として無謀とも思えるエネルギーというものがわいてくる。そういうもののひとつの母胎というものをニューヨークの風土が教えてくれるという一つの事実があると思います。

千住:ふたつに、ニューヨークには多人種多民族が集まっているということです。私はニューヨークでずっとアメリカ人だと思っていた何人かと話をしていたら、立て続けに三人とも全部オランダ人だったということがありました。つまりさまざまな民族、人種、国籍の人たちがニューヨークにいるのです。ですからニューヨークはアメリカではなく、ニューヨークはニューヨークだと言われるゆえんです。ある意味、特殊といっていいかもしれない空間です。だいたいタクシーの7割くらいがイスラム教徒ですよ。いまイスラム圏と喧嘩しているアメリカがただの一回でもタクシーで自爆テロがあったかというと、ありませんね。だからニューヨークというのはひとつの独特の、あるひとつのモデルケースなのです。どういうモデルケースか?平和の、ピースメイキングの、共存のひとつのモデルケースです。
さまざまな異なる他者に囲まれている町。それで私はニューヨークがまるでミックスサラダのようだと思うのです。要するにサラダボールの中を考えていただいたらわかると思いますが、どんなに混ぜてもトマトとレタスが混ざるということはないですよね。どんなに混ぜてもそれぞれの個性は最後まで際立っている。トマトがあるからセロリも美味しい。トマトとセロリがあるからそこにキュウリが入ったら美味しい。つまり異なる他者に囲まれることによって初めて自分の存在も非常に際立ってくるという町がニューヨークの現実なのです。

千住:また、2001年9月11日に同時多発テロがありました。私のアトリエもまさにワールドトレードセンターから歩いて5分のところにありましたから、大変な打撃を受けたのですけれども、そのときに思ったのは、ウォール街と世界の文化の発信地といわれるトライベッカという町は、道一本隔てた表裏だったと気づきました。ニューヨークという町は経済の中心であるという側面を大きく持ち続けながら存在していたのです。そして文化の一大中心地になるという大きな特徴があります。かつて、パリエポックの時代のパリ、そしてその前のフィレンツェ、ミラノ、ベニス、まさに世界経済の中心地だったのですね。だからこそさまざまな情報が集まり、さまざまな他者が集まり、そしてさまざまな価値観が集まり、その中で世界というものが形成されていく。まさに世界というものの小宇宙、縮図のようなものが、それぞれの文化の中心地としての内実だったわけです。いうまでもなく世界の文化の中心地というのはそういうことだったのです。そう考えてみると、どうやらニューヨークという町で毎日生きていくということのなかに、私たちは常に芸術を行っていくうえで、最も本質的な部分をいやがうえにも教えられるというわけです。

千住:したがってニューヨークには非常に質の高いものが集まってくる。毎週のようにマンハッタンのギャラリーにいくと世界で最も刺激的な展覧会、世界で最も高質な展覧会、世界で最もいいディレクターが組んだと思われる展覧会というものが、さまざまな美術館やブロードウェイの劇場や、そしてさまざまな会場で広げられているわけです。そういうものと自分をいつも比較しながら、自分の位置関係を見ることができる。それがニューヨークという町にいることによって私たちが毎日、体験することなのです。そういうことになると、異なる他者にいかに自分を伝えていくためには、共通項である人間という部分で発言していくしかないのです。たとえばお寿司がニューヨークで流行っている。本当にお寿司の美味しさというものをあるレベルまで、私たちと同じように味わっているのです。考えてみればコーヒーだって、ワインだって日本人にはこの程度しかわからないなんていうわかり方などというのはありますか?多分等しく分かっているのだと思います。好き嫌いとかいろいろあるとしても、東洋人だからわからないとか、日本人だからわからないというものではなく、国別とか民族別とかいう枠組みではなく、人間というレベルで美味しいというものは必ず伝わるということを教えてくれる。これは料理を通して学ぶことができるのです。芸術でわからなくなったら、全部料理に置き換えて考えてみることです。料理を通して私たちが教えてもらえることはなにかといえば、日本人にしかわからないという料理ははたしてあるのだろうかということです。私はないと思います。

千住:同じように日本画というものがあります。日本人にしかわからないなんて、そんなことがあるわけないじゃないか。人間というレベルで必ずわかるはずです。それがインターナショナルということですね。よく日本人の芸術家が、海外に作品をもっていくと、すごくジャポニズムを出してもっていきます。それは確かにこういう考えもあるなとは言ってくれるかもしれない。しかしそこで共感を得たり、感動されたり、私の代わりに言ってくれたとか思ってくれたということはないはずです。いかに人間というレベルで発言するかということ。そういうことを日々教えてくれるのがニューヨークなのです。

千住:ニューヨークがアートの中心地であるという時代は、まだしばらく続くというふうに考えております。ニューヨークの時代は終わったといわれることが非常に多いのです。じゃ、どこが始まったか?ということなのです。韓国のソウル、ベトナム、ドイツのデュッセルドルフ、しかし決定打としてはニューヨークのもっている特殊性を超える特殊性というものが他の町に現れているということは私には体験できていないですね。しばらく芸術をやっていく以上はニューヨークという町になんらかの形でかかわらなければならないかなと思います。非常に過酷ですけれどもね。日本との往復、大変な時間を使って、飛行機で毎月のように往復していますけれども、ただ私はそれが私の人生だというふうに思っていまして、それをある意味では楽しみながら、毎日制作を続けています。

■Q:千住先生の芸術によるコミュニケーションはどのようなものでしょう?


千住:絵を描くという行為を少し紹介します。これは私と画面とのコミュニケーションであります。ヘンリームーアが「石の塊をみたときに、彫刻が埋もれている。私は石とコミュニケーションをしながら、その作品を石から取りだしている」と言っています。これはまさにヘンリームーアが自分の彫っている作品とコミュニケーションをしながら、作品の声を聞きながら、その作品が成りたいように成らせるという、その制作のプロセスのことをいうわけです。別の画家は「白い画面の中に描くべき絵が埋まっている。その絵の声に耳を傾ける。そうすることによってその絵がどうなりたいかということを聞くのだ」といいます。こういうふうに枝が伸びたいのか、ここに水が流れたいのかという絵とのコミュニケーションをしていくことなのだと考えるのです。

千住:たとえば私が滝を描きます。私が常に考えていることは、自分の個性ということではありません。その滝はどう流れたいかということだけを思い、絶えずそれに集中しています。それと同時に、これがとても大切なことなのですが、「私が滝だったらどう流れたいか。私が滝だったらこう流れたい。私が木であったら、こう枝が伸びたい」とそのように思うのです。そう思ってスケッチをして、そう思って自分の画面に向うのです。そうするとひとつのある種の一体感ができてきます。ある意味、私は透明人間みたいになっているかもしれませんね。ほとんど透明になって絵のほうに入り込んでいて、自分が木なら枝はこう伸びたい、葉っぱはこう出たい。自分が滝ならこう流れて、こう飛沫が飛びたい。そうしたときには私という存在はもはやなくなってしまっていて、大きな一つの中の何か、言葉にはあらわせない何かになっている。そういう意識というものが、モノを創りあげていくときのとても大切なことなのです。

千住:今、ご質問があったように、皆様がどう感じているかということになるわけです。もっと本質的なことを言ってしまえば、「私たちは同じ人間だ」という意識がモノをつくりだす根底にあるとするならば、それは自分の自我で、俺が俺がではなくて、本当に自然にこう流れたいと思うならば、きっと皆さんもそう感じるはずだと思うわけです。つまり絵画という行為だけではなくて、彫刻にしても音楽にしても、すべての芸術的行為というのは、まさにそういう意味で、あらゆる想像できるすべて、また想像できないすべてに関してのコミュニケーションの非常に複雑な産物だということを私は考えているのです。そのように考えてみると、私は皆さんと一緒であり、皆さんは私である。何かある種、人間の本質的な部分を私は絶えず感じながらモノを描いているというような状況があるわけです。

千住:つまり切り離せるものではないのです。絵を描くときは、「私と画面とのコミュニケーション」、私が絵になってしまっていると、「自分が絵ならこう描いている、こうなりたい、それは同時に皆さんもそうであるにちがいない」と信じているということなのです。それが絵を描く喜び、共有している体験、何か言葉にならないものがあるからこそ、絵に描いているのです。そうやって作り出したものが皆さんから共感していただくことがあれば、「ああよかった。私の問いかけは、皆さんの問いかけと同じだったんだ」というようなことで、ああよかったよかったという気持ちになるわけです。

本リポートはTCC会員様の特典となっておりますので、転送・配布等はご遠慮ください。

2006年11月13日発行  NPO法人ザ・シチズンズ・カレッジ