【第100期講座】2008年09月-2008年12月

石渡 美奈の講座リポート


■はじめに
創業百年を迎える老舗の三代目を襲名するために修行に励んでいる石渡美奈氏は、「ホッピーでハッピー」をモットーにして元気な会社づくりに東奔西走している。
ホッピービバレッジ株式会社は、明治43年に秀水舎として清涼飲料水、ラムネ、サイダーの製造販売に始まり、昭和23年7月コクカ飲料株式会社として発足する基礎を築き、平成7年に現在のホッピービバレッジ株式会社に改組された。
ホッピーは昭和23年に開発されてから平成20年で60周年を迎えるという。
石渡美奈氏は、婿養子をとって当社を守るという意識が強かったそうだが、自らの人生を三代目として定め、父親の反対を押し切って経営者の道を選んだという。

1997年に入社、2003年に副社長に就任して、5年間で年商を3倍に成長させ、年率30%の増益という経営の手腕を発揮した。

しかし、その背景にはさまざまな苦労があったことを講演の中であからさまに語り、その率直な言葉の中に、会社の発展を願い、事業と社員を大切にし、愛する姿が伝わってきた。

■伝統とは革新の連続
入社当初、石渡氏がみた会社は元気がなく、暗かったのでなんとかしなければならないというあせりだけが強かったという。
しかし、まずは経営の勉強をするために、外部に師匠を求めることにした。そこで出会ったのが経営の師匠と仰ぐ小山昇氏であった。石渡氏は小山氏のもとで必死になって勉強し、そのことを実践に移そうとした。会社の現状をみて、一刻も早く経営の改革をしなければならないと思ったからである。
石渡氏は2003年に副社長に就任したが、そのとき父親である社長は「三代目としてやらせるからには、これから口出しはしない」と宣言したという。そこで石渡氏は経営の改革を次々と打ち出していった。その背景として父親のバックアップと工場長の信頼関係があったからである。
しかし急激な改革に社員はついて来られず、ついに2006年に最も信頼をおいていた工場長から辞表が出された。工場長は「私の辞表は工場全員の総意です」と表明したという。石渡氏の最も大変な危機であった。

父親である社長は「工場長がそう言うのであれば、工場長が正しい」といった。それほどに工場長を信頼していたということであろう。

石渡氏は小山氏に泣きつくしかなかった。
電話をすると小山氏は「バカモノ!」と一喝したという。しかし、この危機的状況に対して小山氏は石渡氏に大切なことを教え諭した。そしてこの危機を回避するために、小山氏は、社長と工場長と石渡氏の三者に会うことになった。

小山氏は、①工場長が正しいと認めて石渡氏に非があるとした。すると工場長は泣きながら、改革の必要性はわかるがあまりに独断で走り続ける石渡氏と社員の中間にあって苦しんでいたことを吐露した。②社長に対して「経営を任せるということでは、手を離してもよいけれど、決して目を離してはいけない」と言葉をかけた。任せることと放り出すことは違うと、石渡氏が暴走しないように目を離すなという戒めをしたのである。③石渡氏がやり方を間違えたのは、すべて私の責任であると小山氏は社長と工場長に謝った。

これによって会社崩壊の危機を回避することができたと石渡氏は述懐していた。
事業を継承し、良い会社にしようとすればするほど現状を否定してしまう。それは同時に現社長への批判となり、問題が解決されるどころか、泥沼に陥ってしまうことになった。
その焦りが、工場長の辞表となってあらわれ、会社が崩壊する危機にまでいってしまったことに気づき、あらためて人間の心理を無視してはいけないことを悟ったという。

改革をしなければならないことは明らかであるが、社員がついてこられるように努力することを認識したことから改革への加速は始まった。

■環境整備からの改革・・・捨て捨て大会の実施
環境整備とは、仕事のしやすい環境づくりということを意味する。書類や工具がすぐに取り出せ、お客様への迅速な対応をすることができると、お客様の喜びが自分の喜びとすることにつながる。そうした経験をつんだ社員が増えることで、会社の理念の実践や元気な企業文化の創造につながってゆくことを痛感したとのこと。
よき環境整備はそうじからはじめたのだが、そのためには捨てることが第一となり、「捨て捨て大会」の実施を図った。一週間に一度、一時間のいらないモノを捨てると決めたというのである。

最初は捨てることに抵抗のあった社員も、次第に捨てることができるようになり、環境整備への一歩前進となったという。

■人材戦略としての「新卒の採用」
社員が50名で、年商30億の会社が発展するためにはどうすればよいのか?
それは焼酎ブームとか健康ブーム、レトロブームなどの時流に乗るだけでは難しいことなのだと石渡氏は語る。古い組織を一新するために、社員が一丸となって努力しなければ到底むずかしいというわけである。
そこで経営の勉強仲間から勧められて「新卒の採用」に踏み切った。
中小企業であれば大卒の採用を考えるのは勇気のいることである。石渡氏も「人事部もないし、それほど整った企業でもない」としり込みをしていたそうだが、経営者仲間が強力に勧めてくれたこともあり、2007年に新卒7名を採用した。

この決断に対してある先輩経営者は「新卒を採用すると三つ変わる。ひとつは会社、ふたつは中堅社員、みっつは社長自身が変わる」と教えてくれたという。

実際に、赤坂の本社に7名の新卒の社員が配属されると、いつの間にか会社に活気が出てきた。それに較べて調布の工場はなんとなく暗い感じがして、赤坂と調布工場はまったく違う会社ではないかというほど違いが出てしまったとのことである。また、中堅のリーダーが新卒の社員の模範とならねばと意識が強くなり、成長が促されていったことも大きな出来事だった。そして、新卒の社員の家庭に訪問して挨拶をする石渡氏自身が、新卒を採用するということは「若い人生をあずかることだ」という重さを感じるようになり、かけがえのない若い人生にたいする責任感が迫ってきて、よりいっそうの会社への使命感が強まったという。

■「まとめ」にかえて
石渡氏は会社の発展に大切なこととして、①果敢に改革すること(社員と共に)、②環境整備することで仕事をしやすく、やりがいのある職場をつくること、③新卒採用による人材戦略の重要性を指摘している。
三代目として修行中という石渡氏であるが、誰よりも会社を愛して、事業を発展させることに喜びを感じているといった印象が強い。「ホッピーでハッピー」というキャッチフレーズからも、元気さが伝わってくる。

ホッピーは60周年を迎えるのだが、日本の高度経済成長時代を支えたサラリーマンを居酒屋で慰めてきた飲み物である。関東圏の年配者であれば実感の世界ではないだろうか。

石渡氏は講演の最後にタレントのグッチ裕三氏のエピソードを紹介している。
「芸能界で売れなかった頃、居酒屋でホッピーを飲みながら夢を語っていた。ホッピーを飲むと一番情熱的で元気だった頃を思い出す」。
グッチ裕三氏だけではなく、夢を描いた人たちが辛く苦しいとき、あるいは希望に胸を膨らませているとき、貧しくともそこにはホッピーがあり、多くの人を励ましてきた。だからこそ『ホッピーは夢を叶えるドリンク』であると石渡氏は強調する。

創業からは100周年、ホッピーの誕生から60周年を迎えて、あらたな歴史を刻み続けようとしている。これから石渡氏がホッピーと共にどのような夢を描いてゆくのかが楽しみである。