【第96期講座】2006年07月-2006年12月

佐藤 正久の講座リポート


はじめに
「ヒゲの隊長」の愛称でイラク復興支援の第一陣を指揮した一等陸佐・佐藤正久氏は、私たちがうかがい知れない苦労とやり甲斐、そして現地の人々との温かい「絆」を結んでこられた喜びのひとつひとつをスライドと映像を使って分かりやすく紹介していただいた。

蛇足であるが、イラク・サマーワで一緒に苦労した現地のスタッフから今も「ヒゲを伸ばしているか」とのメールが入るそうである。それは「佐藤はサマーワのことを忘れていない」との確認をしているのだと語る佐藤氏のこぼれる笑顔が印象的であった。

■郷に入ったら郷に従え
イラクの復興支援は民間の企業やNGOが入り込んで出来るのが理想である。しかし治安が不安定で民間人を送ることができないため、①自己完結性をもち、②安全を守る力があり、③復興支援の力がある自衛隊が行くことになった。自己完結性とは道のないところに道をつくり、橋のない川に橋をかけ、どこにでも宿営地をつくり、食糧を調達・自給することができることをいう。災害地での自衛隊の活躍はこの自己完結性の能力によるところが大きいことはよく知られているが、戦争で治安が悪く荒れ果てたイラクの人々への復興支援のために自衛隊は日本の大きな期待を背負ってイラクのサマーワへ向った。

この先遣隊の隊長として佐藤氏は「郷に入ったら郷に従え」との言葉を肝に銘じていたという。現場の風は現場でなければわからないからだと佐藤氏は強調しておられたが、これまでのカンボジアやゴラン高原でのPKO活動と海外派遣の経験をふまえての重みのある言葉であった。佐藤氏が現地で部族の衣装を着ていたり、笑顔で食事をしたりする風景がテレビで放映されていたが、現地の風を大切にするためだったと振り返れば納得することばかりである。楽しく食事をしたりする背景に、「もし現地で信頼を得ることができなければ部下の生命の危機が及ぶ」との悲壮な思いがあったと聞き、背筋を貫く衝撃が走った。またイラクへと出発する際、涙で別れを告げている隊員の家族をみて、佐藤氏は指揮官としてすべての隊員を無事に日本に帰してあげたいとの思いがこみ上げてきたと語られた。その強い思いは表面的なマスコミの報道からはうかがい知れないところでもあった。

佐藤氏は、治安の不安定な地域で復興支援するためには、どうしても現地の人々から信頼を得なければ何事も成すことはできないとの強い決意をもって臨んだという。そして自衛隊が裏方に徹して、あくまで現地の人々の手で復興ができるように支援するという方針を立てたとのことである。

■安心と安全の海を確保するために「佐藤商会」を立ち上げる
日本が復興支援の分野として持っていったのは①医療、②給水、③公共施設の復興というものであったが、イラクの最も大きな要望は電力施設であったらしい。しかも現地の人々は軍服を着た自衛隊を見て復興支援にきてくれたのかどうかわからないという不安と支援分野のギャップがあった。現地の人々の信頼関係を築くことができなければ、とてもじゃないがうまくゆくはずがないというのは自明の理であった。隊員もイラク人をみると全員がテロリストに見えてくると言うし、いつテロを受けるかわからないという不安を拭うことは難しい状況であったという。

そこで佐藤氏は復興支援がスムーズに展開するためにまず「安心と安全の海」をどうしても確保しなければならないと決意したという。それで「佐藤商会」をサマーワに出店し、現地の人々に理解と信頼を得るという発想に転換しようとした。特に先発隊を代表する16人の隊員を営業マンという位置づけにして、徹底的に現地の人々に自衛隊のやろうしている復興支援の内容を伝えて信頼を勝ち取ることを目指した。

(1)徹底的に安心感を与えること。よき日本人として、思いやりと安心感を与えるため、イラクを愛し、サマーワを愛すること。

(2)現地の文化を尊重し、実践すること。多くの国々の軍隊はやはり上から見下してしまうことが多く、現地の人々の反発をかっていた。だから16人の営業マンは医療や建築の専門家集団であったが、まず挨拶と笑顔を絶やさないことを徹底させた。そして握手するときは両手で、頬を合わせてキスをする、右側を優先する習慣、食事の作法などの現地の習慣を重んじて人々に喜んでもらえるようにする。道路を走るときも安全のためにはスピードを上げたいところを騒音にならないようにあえて低速にして住民に配慮する。
また外交は食事であるとして、勧められるまでは座らないし、座ったら足の裏をみせない。紅茶(チャイ)は出されたらすべていただく。一生懸命にもてなそうとする人々に対して誠実に接することを心がけたという。話の話題は1日に3つは考えておくことを命令し、午前1時頃にすべてチェックしていたとのこと。それは宗教的タブーにふれないように気をつけないと、いっぺんに信頼を失ってしまうからだという。

(3)従来の自衛隊の組織文化を壊し、組織体から機能体へとパラダイムをシフトした。あまりにやることが多すぎるので、少ない人数で同時にいくつも処理するためには「機能体組織」にしなければならないと判断したとのこと。自衛隊は徹底した階級社会であるが、今回は適材適所に人材を配置し、処理能力を上げてゆくことを目指した。それでも最初の1ヶ月間は睡眠時間が2,3時間であったらしい。また「調整型」から「朝令暮改型」へのシフトを行い、臨機応変に対応できる体制にしたという。指揮官が朝に命令したこともすぐに変更がありうるとし、組織に柔軟性を与えた。生き残るために必要なことがあれば、有無を言わさずに命令を変更することが大切なのだと佐藤氏は主張する。あとから隊員に「隊長は朝令暮改ではなく朝令朝改ですね(笑)」といわれることもあったらしい。

(4)現地のニーズ(要望)にあった仕事をする。日本が準備した支援は①医療、②給水、③公共設備であったが、現地ではまず電力に対する要望が強かった。そのギャップを埋めるために、まず現地の人々の要望を聞いてまわった。多くの人と会い、話を聞き、現場で優先順位を決めて復興に取り掛かった。日本で支援方針をあえて決めずに現地の要望を優先するというのは、これまでにないやり方であったという。「鳥の眼」で全体を俯瞰し、「虫の眼」で現場を理解することが大切であるとの指摘は、私たちの仕事にも必要な見方・考え方であり示唆に富むものであった。

佐藤氏は復旧と復興の違いを強調している。自然災害や事故などで元に戻すことを復旧というが、復興は元に戻すだけではなくその質を上げてゆくことであるという。現地の人々が自分たちで町を建て直し、発展させられるように支援することが復興であるので、自衛隊のメンバーは裏方に回って機材のやり方や使い方を教育することに徹してきたとのことである。

■安心と安全の環境は創出するもの
自衛隊は一発も撃たず、撃たれずに日本に帰還した。自衛隊はサマーワの人々から武装集団でありながら、一発も撃たなかったことに尊敬を集めた。部隊が交代するとき、テロの問題があるために現地の人々に知らせることなく夜中に異動した。翌日、仕事をする場ではじめて異動を知らされた人々は涙を流し、その日は仕事にならなかったと後から聞き、深い信頼関係が築くことができたことを確信したという。

またイラクで3人の日本人が人質になり、日本の自衛隊を撤退させるように要求されたとき、サマーワでは自衛隊が帰らないようにと自衛隊を支援するデモが起こった。警察を含め多くのイラク人が参加したが、そこには「正直な日本人よ!われわれ、みんなと一緒に平和な町を再建しよう!」と書かれた幕があった。欧米の軍隊は、契約社会のイラク人に「正直」という概念が通じるのか?彼らが「一緒に」と言うのか?と一斉に驚いたという。治安維持部隊ではない自衛隊が、どうしてそこまで信頼をされているのかについて不思議がっていたとのことである。またCNNでも、「アメリカが多くの兵隊を送り治安維持を行い、復興支援も日本以上にやっているのに、どうして後から行った日本が小さな支援でこのようなデモが起こるほどの信頼を得ているのか」と報道したという。

安心と安全の海となる信頼の基盤は確実につくることができ、現地の人々からの厚い信頼を得ることができたのが、今回の成果となったと佐藤氏は胸を張る。そこには指揮官としての責任を果たし、重圧を押しのけてやり遂げてきた自衛隊の隊員とサマーワの人々との信頼関係を垣間見るようであった。

また、過酷な環境の中で佐藤氏をはじめとする隊員の活力源は、「支援を求める声」と「日本国民の応援」であったという。「自衛隊ガンバレ」という応援メッセージは涙がながれるほど感動し、何よりも力になったとのことである。また現地の支援を求める人々の姿に接すると、自衛隊派遣の目的や日本の国際支援というような高邁な理念などなくても、真実に「できるなら助けてあげたい」という心情が湧き上がってきたという。苦しく貧しい環境の中で暮らす人々を見過ごすことはできないと、現地に立って感じない自衛官は一人もいなかった。「誰もが幸せになりたいのだ」と佐藤氏は熱く語っておられたのが印象的であった。

■「まとめ」にかえて
佐藤氏によると、指揮官には全体を俯瞰する「鳥の眼」と現場の風を読む「虫の眼」、そしてもうひとつ潮の変化と流れを見る「魚の眼」が必要であるという。先を読み、変化を読むことがいかに大切なことであるかを佐藤氏は強調する。復興支援は右肩上がりでなければ評価されないので、住民が何をして欲しいのかを先回りして、新しい分野で切り拓くことが必要である。次の部隊がやってきてその支援が現状から質が上がらなければ評価されないことを佐藤氏は痛いほどわかるらしい。だからこそ、リーダーに「魚の眼」がなければならないと強調されるのだと思う。

最後に佐藤氏は、「日本の文化と歴史、そして先輩たちに心から感謝します」と締めくくられた。日本には伝統的文化として“和”を尊ぶ優しさと思いやりの精神があり、今日の日本を築き上げるために努力し続けてきた先人の汗と涙があった。「イラクでの復興支援もこうした先人たちの基盤があったからこそ成し遂げることができた」と語る佐藤氏の熱い思いに会場は包まれていた。

本リポートはTCC会員様の特典となっておりますので、転送・配布等はご遠慮ください。

2006年8月18日発行  NPO法人ザ・シチズンズ・カレッジ

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 【質疑応答】

■Q:「佐藤商会」のその後はどうなりましたか?
佐藤:佐藤商会は解散しました(笑)。ただその精神は間違いなく、われわれと働いたイラクのエンジニア、あるいはスタッフには受け継がれていると思っております。実際、少し前に帰ってきた隊員と東京で会ったのですが、彼らもそのように申しておりました。

■Q:「笑顔づくり」の命令に対して抵抗がある人はいましたか?
佐藤:なかには歯を出して笑えない隊員がいます。皆さんの中にもなかなか歯を出してきれいな笑顔ができない人もおられると思いますが(笑)、かなり抵抗があった人もおりました。しかし主旨を理解すれば必死になって鏡の前で思いっきり「ニィー」としながら頑張っている隊員がほとんどでした。(笑)

■Q:イラクでやり残したことはありますか?
佐藤:やはり電力関係ですね。サマーワの一番の要望があったのは大型の発電機です。結果的には現在60メガワットのものを作るということで動いているのですが、陸上自衛隊は政府の命令で撤収しなければなりませんでした。大型の発電機も重油を使って動かすのですが、それにはまだこれからなんですね。クウェートを基点にしてイラクの現地職員を使いながら事業をやっていくのですが、日本人スタッフがいないために痒いところに手が届かないわけです。実は自衛隊と外務省のODAは表裏一体でやってきました。両輪といわれますが表裏一体なのです。イラクには日本のコンサルタントの人もいなければジャイカの人もいません。専門家は自衛官だけだったのです。ODAを動かすというときに実際に細かい設計のアドバイスをするのは自衛官ですし、イラクに渡した後に細かい運営要領を教えるのは自衛官しかいない。非常にうまく一緒になってやっていましたが、これで自衛隊がいなくなったわけです。自衛隊として途中で終わっているのは大型発電機であり、これは住民の要望が一番高い分野ということからも、個人的にはもう少し早くできればよかったなという思いがあります。

■Q:マスコミの報道と現地での実態とのギャップを感じられたことは?
佐藤:私も防衛庁の方で広報にいたのですが、どうしてもテレビの映像というのはアップフォーカスになります。一部分を切り取って、あたかもその一部分が全体のような錯覚を持ちやすい。これがテレビです。たとえばサマーワで、サドル派の事務所に対してオランダ軍と警察が突入するという場面がありました。その部分を切り取ってしまうとあたかもすごい緊張感があるような感じですが、私がその傍にいたときなどは、女の人が子どもの手をひいて歩いているんです。実はその前に、イラクの警察とサドル派が話し合って今から突入するよと。撃ち合いになるから先に逃げなさいということでした。実際、誰もいなかったのです。こういう具合ですからなかなかイメージアップが図れません。実際、途中から日本人のスタッフがいなくなりました。皆、現地のスタッフです。4月の途中でも日本人の記者がいなくなったために、逆に情報がうまく伝えにくいという部分もありました。

佐藤:逆にイラクの人も日本を勘違いすることもあります。たとえば、私が帰ってきてからすぐ、イラクの友人たちが外務省の招聘で日本にやってきました。サマーワの新聞社の人間です。彼らは私に「おい、佐藤。お前は嘘つきだ。日本の方がサマーワより治安が悪いじゃないか」というのです。彼らが日本に来て新聞やテレビをみて、ほとんどのトップニュースが悪いことばかりで、こんなに日本の治安が悪いのかと驚きの連続だったようです。こんなに殺人事件がおきるのか?強盗とか詐欺とか悪いことをやっているのか?と。そして決定打は、栃木県小山市で一緒に住んでいる友人の子ども二人を橋の上から川へと投げ捨てるという事件を耳にしたときでした。彼らは同じ家に住む人はファミリーですから、ものすごく大事にします。それで「いったい日本人はどうなっているんだ。一緒に住んでいる子どもを殺すというのはとても考えられない」と、一部の報道をみて日本全体がそうだと思ってしまうわけです。

佐藤:それで話をもとに戻しますが、あのまま日本人の記者が残っていればまた違った報道があったのかもしれません。ただ治安が不安定なので警備がないと実際に取材というのはできません。警備つきで取材できればもっと違った側面も国民の皆様の前に伝えることができたのではないかと思います。

■Q:フセイン政権が倒れて、イラク国民はどのように受けとめていましたか?
佐藤:99%以上が大歓迎です。特に私がいた南部のサマーワはシーア派の地域だったので、前のサダム・フセイン政権はスンニー派重視のためシーア派は虐げられていました。それで虐殺された村も多くありますし、恨みがいっぱいあります。今度はわれわれが幸せになれるかもしれない、幸せになる番だという思いがあるので、基本的には大歓迎でした。その点についてはアメリカに対してもほとんどのサマーワ市民もサダム・フセイン政権を倒してくれたことに関しては感謝しておりました。

■Q:イラクの治安維持の見通しをどのように見ていますか?
佐藤:これはいろいろな人の見方があると思いますが、私はいずれ治まると思っています。今はいろいろな形でテロリストとか武装勢力の余波を受けて宗派間の対立もいわれておりますが、もともと彼らは同じイスラム教です。スンニー派とシーア派で結婚している人もいますし、もともとそんなに仲が悪いというわけではありません。ただ一番のもめている元凶は、私の分析では「利権」だと思っています。利益の分配がうまくできれば、いずれは落ち着くのではないかと思います。

■Q:阪神淡路大震災の教訓は活かされているのでしょうか?
佐藤:たしかに災害派遣という観点だけに限っても、自衛隊の裁量の場が増えています。阪神淡路大震災のときの教訓もふまえて、自衛隊も駐屯地の近くであれば自主的に判断して出るという枠組みが、阪神淡路大震災以降にできました。もちろん自治体の長と連携しなければ勝手に動くことはできません。現在、防災という面ではうまい具合に自衛隊と消防・警察が連携をはかれるようになってきていると思います。

佐藤:それでは国際貢献の分野ではどうかといえば、PKOの分野についてはかなり文民部門と軍事部門で現地での連携がとれてきています。なおかつUNコマンドとナショナルコマンド、指揮と指図と言っていますが、日本のナショナルコマンドというチャンネルも効きながらシビリアンコントロールもとれていると思います。

佐藤:次に復興支援ですが、いままで自衛隊の国際貢献のなかで復興支援というものはやったことがありません。PKOで道路を直したりしましたが、今回の復興支援とは全く次元が違います。たとえばカンボジアとかゴラン高原の道路を直しましたが、それは他の国の軍隊が通るために道路を直しているのです。それがPKOであり、住民のためとにという道路補修ではありません。したがって、でこぼこのあるところをちょっと均せばいいというレベルです。今回は復興支援、しかも日本政府の直接指揮です。大使館の人間も治安の関係で動けないなかで、他の国の支援機関、NGOあるいは国際機関、多国籍軍の支援部隊、いろいろな面と連携しながらイラクの政府と調整しなければなりませんでした。シビリアンコントロール面でいうと、他の活動と比べると日本政府のグリップは効きにくかったというのは間違いないと思います。もっと治安がよければ役員がどんどん入っていって、内閣官房の人間も入っていってできるのですが、治安がこれまでより安定していないため、そこはけっこう現場にまかされたわけです。その代わりカメラがありますので、阪神淡路のとき以上に、現場の映像がリアルタイムで国民の前に映し出されるというようになっています。今までよりも日本政府のグリップが効きにくいといっても、好き勝手できるわけではありません。あくまでも法の範囲内、定められた範囲を超えることはありません。
今後、復興支援についてどういう形がいいのかという議論が必要な分野であると思います。今回、イラクでやってきたことも絶対このやり方がいいとは思っていません。まさにこれからどういう形で関わって行くのかと、これから評価をしながらつくっていく分野ではないかなと思っています。

■Q:またイラクへ行きたいと思いますか?
佐藤:今は自衛官ですので勝手にはもどれないのですが(笑)派遣隊員の中にはもう一度行きたいという自衛官はかなりいると思います。そのくらいイラクの人との友人関係とか人間関係ができていますし、自分たちがやってきたことや子どもたちがどのように育っているのかとかを見届けたいという気持ちをもっている隊員は結構います。ただ自衛官という立場にあるので命令がない限りイラクに行くことはできません。(笑)

■Q:最後に好きな言葉とか座右の銘があれば教えてください。
佐藤:私は「絆」という言葉が好きで、実は名刺にも「絆」という文字を入れています。日本人ということを考えた場合、人と人との絆とか、人と地域の絆とか、そういう部分がこれから大事ではないかなというふうに個人的には思っています。

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2006年8月18日発行  NPO法人ザ・シチズンズ・カレッジ