【第109期講座】2013年04月-2013年09月

寺田 一清の講座リポート


■はじめに
寺田一清氏は、国民教育者の師父と敬愛される森信三先生の直弟子として、48年間に渡ってその哲学と実践を述べ伝えている。
寺田氏が森信三先生から教えられた言葉のひとつに「天下一流の師につきてこそ、人間も真に生き甲斐ありと言ふ」があり、寺田氏ご自身はまさに天下一流の師と出会ったという感謝のなかで人生を歩んできたと感慨深く語っておられた。
そして森信三先生を師と仰ぐ国民詩人の坂村真民氏より「弟子たるものは師の年齢だけでも越える。これが至上命令だ」とその弟子たる覚悟を教えられた寺田氏は、「森先生は97歳まで生きた。これを越えるのは容易ではない」と語りながらも、86歳にして二時間に及ぶ講演会に立ち続け、凛とした声を響き渡らせる姿からは、弟子たる覚悟をしっかりと心に刻み込んでいるように見受けられた。それでは何歳を目指しますかと問われたとき、寺田氏の希望によれば、「百歳というのは恐縮するので、一歳を引いて白寿(99歳)を目指します」と茶目っ気のある笑顔で応えられたのが印象的であった。
楽屋でお聞きした話では、86歳にあっても富士山に何度も登っておられるとのこと、また講演会でも100キロウォークに挑戦するという話もあり、ますます矍鑠(かくしゃく)として活躍することは間違いなしという感じであった。

■森信三先生との邂逅(かいこう)
寺田氏が森先生と出会ったのは、家業の呉服屋を継いでいたとき、恩師に森先生の全集25巻を紹介されたのが最初の契機であった。それからすぐに森信三先生が「全集25巻を買ったという呉服商に会いたい」と恩師に伝え、昭和40年2月21日に恩師の学校長室で出会ったという。
そのとき森先生が「ニチボー貝塚の回転レシーブは佐々木小次郎の燕返しにも劣らない、日本鍛錬道の粋である」と語ったことが寺田氏に鮮烈な印象を残した。実を言えば、昭和39年の東京オリンピックで日本女子バレーボールチームは金メダルを獲得している。その中心メンバーはニチボー貝塚の選手であり、監督は大松博文であった。
そして寺田氏は呉服商としてニチボーの3500人の女工さんたちへの着物の営業をしており、そこで大松監督とも面識があり、友人のように付き合っていたとのこと。
こうした背景を知ってか知らずか、森先生はいきなり「回転レシーブ」についての歴史的評価をされた。この一言で森信三という人はすごいと思い、寺田氏は森先生と出会って5分で「このお人こそ生涯の師だ」と心に決めたという。以来、27年間直弟子として仕え、鬼籍に入られてから21年間、森先生の業績を顕彰することに尽くしてこられた。森先生のその思想と実践を多くの人に伝えることを使命として今日に至っている。
善き師との出会いは、まさに邂逅であり、命と魂が共鳴共振することにほかならない。寺田氏が森先生の出会うのはまさに邂逅であり、運命ともいえるものだったようにも思う。

■森信三とは何者か?
寺田氏が森先生について語るとき、次のように三つの面から紹介している。

(1)国民教育者の師父
寺田氏によれば、森先生の著作25巻のうち65%は教育に関するものであるという。名著「修身教授録」(致知出版)は、師範学校にて教師を志す生徒に向けた講義であり、現代においても教育者のみならず、企業経営者やさまざまなリーダーのバイブル的な書籍となっている。教育者を育てることに尽力した森先生であった。

(2)日本的哲学を立てる哲学者
森先生は、広島高等師範学校教授で西晋一郎に学んだ。西晋一郎は「東洋的精神と西洋知性の会合を世界的深底の場で成就することを課題」として、京都大学の西田幾多郎と並び称せられる、日本を代表した哲学者であった。
森先生は後に京都大学で西田哲学を学ぶが、哲学の方向性の違いを感じて袂を分かち、教育の現場へと進んでいった。それが天王寺師範学校での講師生活であり、このときの授業を収録したものが、名著「修身教授録」であった。また日本的哲学の先達として、森先生が評価していたのが、中江藤樹であり、石田梅岩、二宮尊徳だったという。
そうして森先生は日本的哲学を立てるとして「全一学」を提唱した。
「全一学」とは、東西の世界観の切点を希求するものであり、宇宙間に遍満する絶対的全一生命の自証の学、そして世界観と人生観との統一の学であるという。

(3)「人生二度なし」の教えを広める教祖
寺田氏は、森先生が「人生二度なし」について強調し、伝え続ける姿をみて、「これは人生二度なし教」であるとして、この教えを受け継いでいるのだという。
森先生は名家端山家に生まれたが、2歳のとき母と共に実父の家を出た後に森家の養子に出される。13歳の正月、養父に連れられて端山家に挨拶に上がった際、祖父・端山忠左衛門と会った。そのとき祖父から頼山陽の「立志之詩」を示された。それが「天地始終なく人生生死あり」と一句があり、頼山陽が14歳の春に作詞したものである。祖父から示された「人生生死あり」の言葉が森先生の「人生二度なし」という覚悟の始まりであり、33歳に信条として生き方を語り始めたという。「人生二度なし」こそは絶対的普遍的、根本的な真理であるといい、年々死を覚悟していった。そして76歳で大病を患い、年々の死の覚悟は、今日一日を生きるという死の覚悟に変わっていったというように、「人生二度なし」という生き方を貫いたのが、森先生の人生であった。

■森信三先生の雅号「不尽」
森先生は86歳で脳梗塞を患い、右半身が不随となられて以来、ハガキに「マヒの右手もて、九十二歳不尽」との一句を付けられるようになったという。
寺田氏はこの「不尽」について、別の角度から「不尽」を「富士」になぞらえて語っている。「不尽」とは尽きないという意味であるが、道を求め続けるという意味にもとれるし、富士の高嶺を目指すことにも通じるのではないかと指摘している。
国民詩人の坂村真民氏が「21世紀の扉を開くただひとりの人は、森信三先生である」と喝破したが、それは森先生の思想と実践が富士山の高さと裾野の広さにあるからだという。つまり森先生の学問としての高さは当然のことながら、その裾野は広く、幼稚園児にもわかるように道を説くことができ、実践することができるからである。暮らしの中で実践するわかりやすさは、ご飯の食べ方、入浴の仕方、就寝の仕方など、具体的な行動指針としてあらわされている。
寺田氏が森先生を富士山になぞらえて、その思想と実践が国民教育の根本となりうることを示しているところは興味深いものがある。

■「立腰教育」こそが日本の文化伝統を未来につなぐ基本となる
寺田氏がもっとも森先生の教えで大切にしているのが「立腰」である。

【立腰教育】
つねに腰骨をシャンと立てること-これ人間の根性の入る極秘伝なり。
人間は心身相即的存在ゆえ、性根を確かなものにしようと思えば、まず躰から押さえてかからねばならぬ。それゆえ二六時中、「腰骨を立てる」以外に、真に主体的な人間になるキメ手はない。「腰骨を立てる」ことは、エネルギーの不尽の源泉を貯えることである。
この一事をわが子にしつけ得たら、親としてわが子への最大の贈り物といってよい。

一、腰骨を立て
二、アゴを引き
三、つねに下腹の力を抜かぬこと

同時にこの第三が守れたら、ある意味では達人の境といえよう。
(実践人の家より)

寺田氏によれば、森先生は師範学校で学ぶ前に岡田虎二郎の正座の会と出会い、岡田式正座法にある腰骨を立てるに注目し実践をしたのだという。それは岡田虎二郎の正座法は禅の流れを汲んでおり、それらを統合したかたちで「立腰教育」があると指摘する。
鎌倉の臨済宗のお寺では、座禅の会において指導するときに「腰骨を立てる」というところから入っているとの話を聞き、寺田氏の感慨は深かった。日本の伝統である禅の精神が岡田虎二郎によって近代化され、さらに森先生の立腰教育となって国民教育の根本になり、それをまた禅のお寺で取り上げてくれたというのは、日本的哲学を確立するという森先生の志を慮り、寺田氏としては無上の喜びであったに違いない。
姿勢を整える「立腰教育」は、教育の基本であると共に、人間をつくる基本であることを指摘した森先生の慧眼には凄みがある。「私は何をすれば良いのか?」という問いに、「まず腰骨を立てなさい」と明確に答えることができ、具体的に指導できるところに「実践」の哲学としての真骨頂があるように思う。

■森信三先生の思想と実践

(1)子どものしつけ3ヶ条
  ①朝のあいさつをする子に
  ②「はい!」とはっきり返事のできる子に
  ③席を立ったら必ず椅子を入れ、履物を揃える子に

(2)立腰の仕方
  ①お尻を思い切り後ろに引く
  ②それとは逆に腰骨を思い切り前につき出す
  ③ひざとひざは、男子はこぶし二つ分、女子はひざとひざの間をあけない
  ④肩の力を抜き、ややアゴを引く。下腹に力を入れる

(3)鏡笑法
  鏡をみて笑顔をチェックする。
  鏡は自分では笑わないが、私が笑うと鏡も笑う。
  笑いは作り笑いでも良いので、三段階くらいの笑いをチェックする

森先生の教えはとにかく具体的で実践することができるので試していただきたい。

■むすびにかえて

◆再建の根本原則

 時を守り
 場を清め
 礼を正す

寺田氏は、森先生は真理を三つにまとめて伝えることが素晴らしいと言う。
最近は、成功するために何十ヶ条という本が目につくが、やらなければならない項目が多すぎると寺田氏は指摘する。まとめて三つの言葉にすることが大切ではないかというものだ。たしかに森先生の「子どものしつけ3ヶ条」にあるように、大切なことを簡潔に、しかもわかりやすく実践できるのは素晴らしいことだと思う。
最後に紹介していただいた「再建の根本原則」も三つからなっていて、文字にすればわずか12文字となっている。
この12文字の中に私たちが為すべきことが集約されている。「時を守り」とは時間を示し、期限を決めること、決まった期限を守ることなど、私たちが時間に対する意識を高めることが示されている。
そして「場を清め」は空間を示していて、整理整頓の大切さ、清掃の大切さ、場を神聖なものとする姿勢をあらわしている。森先生は常にゴミがあれば拾い、黒板は綺麗に拭いてから授業を始めるということを徹底されていた。そして授業が終わればご自分で黒板を綺麗にして教室を出たという。
最後の「礼を正す」は、人間(じんかん)であり、人と人との関係性をあらわしている。相互に敬いながら、愛語をもって人を認め、褒めて接することの大切さを示している。
まさにこの12文字のなかに私たちが何をしなければならないかが集約されている。この三つのこと、12文字を心に刻むだけで、生き方や、人間関係のあり方に人生の背骨が通り、この三つを実践すると腰骨が立つようである。
寺田氏は今年で86歳を迎えられ、富士山に登り、100キロウォークに挑戦するというように元気いっぱいである。また90歳の卒寿には、本講座に登壇していただき、さらに元気な声で森信三先生のお話を拝聴したいと思う。
そのとき私たちの腰骨も立っているように精進しておきたいものである。

最後に、寺田氏がお勧めしている合言葉を紹介したいと思う


『明日こそは』
 あ 挨拶は先にしよう
 す スマイルをたやさずに
 こ 腰骨を立てよう
 そ そうじをしよう
 は ハガキを書こう