【第109期講座】2013年04月-2013年09月

清水 潔の講座リポート


■はじめに

日本人の心のふるさとである伊勢神宮は、平成25年に第62回の式年遷宮がとりおこなわれる。この式年遷宮は、20年に一度の大祭は日本において最も大切なお祭りのひとつである。
皇學館大學の学長 清水潔氏は、式年遷宮への国民の意識が高く、多くの人々が伊勢神宮にお参りする姿を目の当たりにして「これは平成のお蔭参り」であると評した。
「お蔭参り」とは、江戸時代に伊勢神宮への熱狂的な集団参詣が60年に1度くらいの周期で起こったことを指している。江戸時代に数百万人の規模で3回あったという。このお蔭参りはの特徴して、奉公人が主人に無断で、子どもが親に無断で参詣したことから、抜け参りとも言われている。このときに大金をもたなくても、信心の旅であるとして施しを受けることができたらしい。(お蔭参りの様子は伊勢神宮の内宮の参道途中にある「おかげ横丁」にジオラマとして展示されている)
清水氏の眼には、式年遷宮を前にして多くの人がお参りする姿が、こうした風景と重なって見えたため、「平成のお蔭参り」との言葉が発せられたのだと思う。
それほどに国民をあげての式年遷宮であるという気運が高まっていったのは、日本人がそのルーツとなる伊勢神宮を通じてアイデンティティを再発見しているのかもしれない。

■日本人の心のふるさと「伊勢神宮」

伊勢神宮は、正式には『神宮』という。伊勢神宮は、伊勢の宇治の五十鈴(いすず)川上にご鎮座の皇大神宮、つまり内宮(ないくう)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮、つまり外宮(げくう)、及び別宮、摂社、末社など125社神社の総称である。

その皇大神宮(内宮)にお祭りされている天照大神は、もとは天皇がお住まいの御殿の中に「同床共殿」でお祭りされていた。そこから「日本書紀」「皇大神宮儀式帳」などによると、崇神天皇の代に、皇居から大和の笠縫村にお遷しして、垂仁天皇の代に大和、伊賀、近江、美濃を経て、伊勢の五十鈴川の川上に鎮座されたと伝えられている。

五十鈴川の清流にかかる宇治橋を渡ると、参道は深い森につつまれ、神々しい空気にふれる。まさに神域ともいうべき時空間の中に身をおくと、誰しもが清浄な世界を肌で感じるようになる。

文明史家のトインビーは、1967年11月29日に参拝し、その体験を「Holy Place」と表現した。そしてすべての宗教、根底的な統一性を感得するという意味深い発言をしている。国家や民族の信仰や宗教・宗派を超えて、何か感じること、感得するものがあるというのが、伊勢神宮の神域にあふれる特別な世界観なのだろうと思う。

西行は「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という有名な歌を詠んだ。

伊勢神宮を訪れた人たちが、ただありがたいと感じる、何かを感じるところに、日本人の心のふるさとそのものがあるのではないだろうか。自然にある山川草木のいのちが日本人の心と共鳴し、その命が親から子へ、子から孫へと連綿と継承されていく自然の摂理を皮膚感覚で深く感じとることができるのが、伊勢神宮である。

■式年遷宮について

式年遷宮とは20年に1度の大祭であり、正殿(しょうでん)を始め御垣内(みかきうち)のお建物全てを新造し、さらに殿内の御装束(おしょうぞく)や神宝(しんぽう)を新調して、神儀(御神体)を新宮へお遷し申し上げる、我が国で最も重要なお祭りのひとつである。
式年遷宮が制度化されたのは、天武天皇の御代のことであり、第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは、持統天皇4年(690)のことであった。

遷宮以前は、社殿が破損するに伴って修理していたが、式年遷宮ではそれをあらため、社殿、神宝、装束の一切を新しくして、神様に新しい社殿にお遷りいただく形に変えられた。

古代はあきらかに国家が遷宮を支えていたが、律令国家体制が崩壊していき荘園経済制になると、役夫工米(やくぶまい)という制度で支えた。しかしその中心はやがて朝廷から幕府中心に変わり、室町時代からは戦国時代で約130年間は遷宮が途絶えてしまった。

そこで戦国時代末に慶光院上人が諸国勧進で復興することになった。これによって外宮は永禄6年(1563)、内宮は天正13年(1585)にそれぞれ復興することになった。
勧進というのは、つまり、庶民に神宮の大切さを訴えたということ。そこから、本格的に国民の奉賛が始まってきたと言える。

織田豊臣時代には平和の回復と財源が安定するようになり、式年遷宮は順調に行われた。そして江戸時代になると徳川幕府が一括して経費をまかない、20年に一度ずつ安定的に斎行されている。

やがて明治国家になると、伊勢神宮は内務省の管轄となり国費から十分な予算が充てられるようになり、盛儀を迎えるようになる。そして昭和4年には最高度に達していたという。

しかし昭和20年の敗戦によって式年遷宮は大変な危機を迎える。
昭和24年に予定されていた第59回式年遷宮は、当時、日本はアメリカの占領下であったために昭和天皇より聖慮を拝して中止となった。またGHQにより昭和20年12月15日に神道指令が発せられ、厳格な政教分離が行われたため、伊勢神宮は一宗教法人になりその後の造営を引き継ぐことになった。そこで式年遷宮は民間の奉賛を集めて、予定されていた昭和24年から4年後の昭和28年に斎行されている。

そして第60回式年遷宮が昭和48年、第61回式年遷宮が平成5年に、さらに平成25年には第62回式年遷宮が無事に斎行された。戦後3回目となった式年遷宮は、国民を挙げてのものとなり、この国民的な気運に清水氏は「まさに平成のお蔭参りではないか」と評しておられた。

ここで注目すべきことがある。第61回の式年遷宮に向けて神宮当局では、皇家第一の重事たる式年遷宮の準備は一宗教法人の神宮が発議すべきような事柄ではない。したがって、次期第61回は少なくとも、遷宮準備に先だって、「まず天皇陛下から『お言葉』を賜わりたい」と願っていたという。それほどに式年遷宮は天皇主体であることが本旨であることを強く主張したものだった。それで、昭和59年2月3日に二条大宮司は天皇陛下に拝謁し、直接に「遷宮を大宮司の責任において進めよ」という意味のお言葉を賜わり、60年11月には天皇陛下から御内帑金が献進された。国民の奉賛に先がけて、天皇陛下の献進から始まる式年遷宮のあり方が開かれたということで、一宗教法人の『民間遷宮』を脱して、『天皇垂範・国民協賛遷宮』と言えるのではないかと当時の少宮司・酒井逸雄氏は語っている。
まさに天皇陛下と国民が思いを一つにして第6Ⅰ回式年遷宮が斎行され、今回の62回の式年遷宮がさらに大きな気運の中で斎行されるというところに、日本人のあり方が見えてくるのではないかと思う。

■式年遷宮の意義

清水氏によれば、式年遷宮の意味について「神々を迎えた原初に回帰し、それを20年ごとに繰り返すことで、永遠を可能にする、子孫に継承されていく在り方を示しているのではないか」と語っている。

明治37年、明治天皇に内務大臣と宮内大臣が式年遷宮に関する意見を奏上している。その内容は、20年ごとに式年遷宮のために用材などを準備するのが大変なので、建築方法を変えて木材だけではなく、コンクリートを使ったらどうかというものだった。そうすれば200年保つことができるので、その間に用材としての檜も育つのではないかという意見であった。
しかし明治天皇はこの意見を退け、明治42年度の造営はすべて現在の様式に従うように伝えたということがあった。

明治天皇の御沙汰は次のとおりである。

その御沙汰は、建築の方法はだんだん進歩をする、今後もますますこれは進歩するに違いはない。そういう時分に、神宮の御造営のような万事旧式な、いわゆる掘立柱に藁の屋根というような建築をして、20年ごとに改築をするということは、これは実に時代錯誤のことである。よろしくこれはこの進歩の建築法によって煉瓦造りとか何かで、永世不朽の御造営をする方がよろしかろうというような議論をする者が必ず出来て来るだろうと思う。しかしそれは大変な間違いであろうと思う。神宮の御造営というものは我が国の固有の建て方である。これを見て始めてこの国の建国の昔の古い事を知り、一つはまた祖宗がかくの如く御質素な建物の中に起臥をあそばされたということも知るし、神宮を介して始めて我国建国の基を知るのであるから、現在のこの建て方は全く永世不変のものでなくてはならぬ。決して建築法が進歩したからと言って、煉瓦とかコンクリートで造るものではないということを懇々と御沙汰がございまして・・・
(日野西資博「明治天皇の御日常」/旧仮名遣いをあらためて引用)

まさに式年遷宮とは、「神宮を介して始めて我国建国の基を知る」ことであり、日本国と日本人の原点となるものである。加えて清水氏は、「これによって国家と祈りの永遠性が、ご遷宮によって非常によく実現されていると思う」とも語っておられた。

清水氏の解説によって、20年に一度の式年遷宮であるからこそ、日本の文化と伝統精神が「永世不変のもの」になるということをあらためて知ることができた。

■「むすび」にかえて

第62回式年遷宮の遷御の儀は、内宮においては本年10月2日に、外宮では10月5日に斎行された。式年遷宮の諸行事は8年前から始まっているが、ご神体を古い神殿から遷す遷御の儀は最も大切な儀式である。
10月2日の内宮の遷御の儀は、秋篠宮さまが皇族の代表として参列された。
この日、天皇陛下は皇居で神宮に向かって拝礼する「遥拝(ようはい)の儀」に臨まれ、皇后さまも皇居・御所で、皇太子殿下御夫妻も東宮御所で拝礼される。

日本は万世一系の世界最古の国家である。世界の歴史をみれば、常に国家の興亡は王朝の交代を繰り返してきた。しかし日本だけは古代から続く王朝を守り、現在につながっている。日本の正史である『日本書紀』によれば、初代神武天皇の即位が紀元前660年とされ、2013年は皇紀2673年となる。この説には神話の時代にかかっているという考古学的批判もあるが、3世紀の大和朝廷の成立から見積もっても1800年もの歴史があることは間違いなく、世界に誇るべき日本と言うことができる。

その日本の建国の基こそが、伊勢神宮の式年遷宮であるとすれば、国民がこぞって式年遷宮をお祝いし、伊勢神宮へ参詣するというのは、今また日本の文化と伝統精神を式年遷宮によって再確認しているのではないだろうか。