【第108期講座】2012年10月-2013年03月

枡野 俊明の講座リポート


■はじめに
 建功寺住職・枡野俊明氏は、禅の教えに基づいて人間の本来ある美しさを呼び覚ますために、まず所作を整えることを勧めている。禅の言葉に「威儀即仏法 作法是宗旨」(いぎそくぶつぶっぽう さほうこれしゅうし)とあり、すべての動作に礼儀作法にかなう身のこなしをすることすべてが仏法であるという。日々の暮らしの中で、その所作と立ち居振る舞いを整えること自体が禅の修行という意味である。
 枡野氏は、現代人が時間に追われて余裕を失い、豊かな時間と空間を過ごすことができにくいストレス社会に生きていることに警鐘を鳴らしている。そして「人間は生まれながらに鏡のような美しい心をもっているのだから、静かな時間と空間に身をおいて心穏やかに過ごすことが大切である」とゆっくりとした口調で私たちを諭すように語った。
 今回の講座では枡野氏の目の前に準備されていた時計が止まり、予定の時間に乱れが生じるというハプニングが起こった。さすがに枡野氏は泰然として「時計が止まっていますね」とスタッフに手渡し、「おかしいと思っていました」と破顔一笑され、さっそく講演のまとめをしてくださった。会場からは、枡野氏の法話が長く聴くことができ、かえって良かったという感想が寄せられたが、こうしたハプニングにも平常心で自在に対応する姿は強く印象に残った。
 以下に、枡野氏が私たちが暮らしの中で実践できる禅の教えをわかりやすく解説した言葉を記しておくことにしよう。

■一日不作一日不食(一日作さざれば一日食らわず)
 唐の時代の禅僧・百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の言葉。高齢になった百丈禅師が作務(さむ)としての農作業をしているのを見ていた弟子が健康を心配して、「作務をやめてください」と願い出るが、百丈禅師はやめようとしなかった。そこで弟子は農作業をやめてもらうために、その道具を隠してしまった。それで百丈禅師は農作業ができなかったために、食事を取ろうとしなかったという。三日過ぎて、弟子がなぜ食事をしないのかを聞いたときに、百丈禅師は「一日作さざれば、一日食らわず」と語った。弟子は百丈禅師に道具を返し詫びたところ、百丈禅師はすぐにその道具をもって作務としての農作業をし、帰ってから食事を取ったということである。
 枡野氏は「これは『働かざる者食うべからず』ということではなく、一日において私がなすべきことをなしたかが問われているのです」と指摘する。人には成すべきことがある。一日においてその成すべきことを成したかを真摯に問うこと。これは単に仕事をすることではなく、もっと内面の奥にある自己に向き合って「何を成すべきか」を問うのであり、そしてそれを成したかが問われるという意味がある。
 私たちが一日をどのように過ごしているのかを振り返ったとき、心を置き去りしたルーチンワークになっていないかをチェックしておきたい。

■(逢茶)喫茶(逢飯)喫飯(おうさ きっさ おうはん きっぱん)
 螢山禅師の言葉に「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」がある。悟りの境地を問う弟子に茶が出されたが、弟子は何のことかよくわからない。枡野氏は、「お茶を飲むこと、ごはんを食べること、ただ、そのことだけに一所懸命になる」ことが悟りへの道であるという。
 お茶が出されたら、私がお茶とひとつになる。私がお茶そのものになる。この境地が悟りに近づくものではないか。枡野氏は、ひとつになるということについて、所作を整えようとするときの心がまえも喫茶・喫飯の教えと同じで、一服のお茶や一膳の食事を心の底から楽しみ、ひとつになるとき美しい姿をみることができる。
 枡野氏は、「ひとつになる」ということは禅の思想によって練り上げられた「道」へとつながるという。茶の湯は茶道となり、立華は華道に、書も書道となるが、このような「道」のつくものはすべて禅の影響を大きく受けている。つまり、「道」とは生き方を極めることであり、技芸の世界においても禅の影響により、茶や生け花、書を通じて人間の生き方を極めることで「道」として成り立っていったとのこと。そこには主客を超えてひとつになる境地にむかっていく禅の世界がある。
そして剣術が剣道となったのもまさに「剣禅一如」というように禅そのものである。枡野氏は、徳川将軍家の剣術指南役として知られる柳生但馬守宗矩は、沢庵和尚と出会い開眼したという逸話を紹介している。
ある雨の日に沢庵和尚が柳生宗矩に「おぬし。この雨のなか外に出て、濡れない極意を見せてみよ」と問う。すると宗矩は雨の中に飛び出し、雨を斬って斬って斬りまくった。全身ずぶ濡れになった宗矩に向かって沢庵和尚は「あおんなに濡れていて何が極意じゃ」と言う。すると宗矩は「それなら和尚の極意を見せてくれ」というので、沢庵和尚は雨の中に出て行く。しばらく雨の中をじっと立って、全身ずぶ濡れになって戻ってきた。
宗矩は「和尚も濡れているではないか、極意とは笑止千万」と批判するのだが、沢庵和尚は「まったく違う。おぬしは濡れまいとして刀を振り回したが、雨はおかまいなしにおぬしを濡らした。わしは雨を受け入れてただ立っていた。わしが雨に濡らされたのではなく、わしは雨とひとつになっていただけじゃ」と答えたという。
ひとつになることの真髄がこの逸話からも窺い知ることができる。激しく降る雨に抗するのではなく、受け入れることによって平穏な心になることができるという境地は、禅ならではの見方考え方ではないだろうか。

■調身‐調息‐調心
 所作を整えて心を整え、所作を磨いて心を磨く、所作を美しくして心を美しくする。そのために日々実践できる「椅子座禅」を教えていただいた。

◆椅子座禅
 まず①椅子の背もたれから背を離し、浅く座る。頭のてっぺんから尾てい骨まで一直線になるように姿勢を正しく整える。②右の手のひらを左の手のひらに乗せて、親指が触れないほどに近づける。③目線は45°下に落とすと、自然に半眼の状態になるので、視覚情報がカットされて気持ちが落ち着いた状態を保つことができる。
 ④まず思い切り息を吐き、吐ききる。そして鼻から静かに息を吸い込む。ヘソの下にある丹田に意識を集中して、ゆっくりと呼吸することが大切である。息を吐くときは、お腹の邪気が出て行くイメージで、吸うときは霊気が入っていくるイメージをもつと良い。
 ⑤頭にものを留めないこと。雑念が浮かんできても、それを流していく。ただ流していくことで、雑念からから解放され、心が落ち着いていくようになる。

◆調身・調息・調心
 禅には「調身・調息・調心」という言葉があるという。姿勢を整え、呼吸を整えることによって、心を整えるというもの。
 まず「調身」とは姿勢を整えることであり、美しい姿勢と所作を心がけること。次に「調息」は、姿勢を整えると呼吸が自然に整ってくるということ。ゆっくりと深い呼吸は心を落ち着かせ、困難な状況にあっても、冷静な正しい判断ができるようになる。それこそが「調心」であり、心が揺れ動くことなく、穏やかに整っていく。
 姿勢と呼吸と心には密接な関係があり、心に落ち着きとゆとりを持つためには、まず姿勢と所作を整えることが大切であることがわかる。

■「三業」(さんごう)を整えよう
 さらに豊かな人生を生きるためには「三業」を整えること。「三業」とは、「身業」(しんごう)、口業(くごう)、意業(いごう)であって、身(体)と口(言葉)と意(心)を整えて生活をすることである。

①身業:身を整えるとは、姿勢や所作を整えるというだけではなく、正しい法に従い、世のため人のために自分自身の体を惜しみなく使うことでもある。自己中心的にならず、より人のため、世の中のためになるように行動するというのが、身業をを整えるということ。

②口業:愛情ある温かい言葉を使うこと。人は言葉で傷つき、伝えたいことが伝わらない場合も多い。丁寧で、その場にふさわしい言葉を使うことが、口業を整えるということ。

③意業:心が穏やかで丁寧であること。先入観を持たず、偏見のない心、とらわれのない柔軟な心、自由自在な心をもつことが、意業ということ。

■むすびにかえて
 現代のようなストレス社会では心静かに過ごす時間と空間をもつことができにくい。だからこそ、一日、一週間、一ヶ月と過ごす時間のなかで、わずかでも自分自身を見つめる時間と空間をもつことが大切であると枡野氏は主張する。心を亡くしてしまうような人生はあまりにも勿体無いことであり、誰もが豊かに生きる人生をつくってほしいとも語られた。
 会場からの質問に、「生活の中で上手にONとOFFの切り替えをするにはどうすればよいか?」とあったが、枡野氏は次のように答えてくださった。
 すなわち、自宅から職場までの間に三つの印(しるし)をつけて、そこを通過するごとに仕事のモードにスイッチを入れるようにすると良いとのこと。バスの停留所、駅の改札、エレベーターやエスカレーターなどを門として、そこを通過するごとにスイッチがONになっていく。逆に、帰りはそこを通過するごとにスイッチがプライベートなものに切り替わっていくとすれば、仕事とプライベートのスイッチの切り替えはしやすいとのアドバイスであった。
 これは仏教で言うところの「結界」を生活に応用するというものである。結界とは聖と俗を分ける境界であり、お寺には三門を通過して本堂にいたり、神社ではいくつかの橋をわたって本殿にいたる。
三門とは「三解脱門」であり、空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門といわれている。お寺にお参りするときには、この三つの門をくぐって心を整えてゆくというもので、まさに心構えを切り替えるための通過儀礼となっている。
私たちの暮らしの中にもこうした工夫が取り入れられるのも良いかと思う。部屋の中にも結界をしき、心静かに過ごす時間と空間を設定するための工夫がなされると、メリハリのある生活が生まれるかもしれない。
 禅の教えに基づいて、「三業を整える」ことの実践を心がけ、心豊かな時間と空間を大切にしたいものである。