【第108期講座】2012年10月-2013年03月

西成 活裕の講座リポート


■はじめに
 渋滞学の専門家で東京大学教授の西成活裕氏は、本来は数理物理学の研究者であった。特に水の流れや空気の流れを研究されていたそうだが、「流れ」というキーワードから、車や人の流れ、あるいは情報などの流れに関心が向かってゆき、「渋滞」という生涯をかけて研究するテーマに出会ったとのこと。
 爾来、あらゆる「渋滞」に関心の領域を広げていき、「渋滞」の専門家として世界的な権威となっている。そして学術世界のみならず、「ムダどり学会」を立ち上げてモノづくりの企業の指導までも展開し、世の中のすべての「渋滞」をなくすために東奔西走している。
このように西成氏は、流体力学の数理物理という学問を応用すれば、会議における「意思決定の渋滞」や人事考課における「人事の渋滞」、もちろんモノづくりの「生産管理の渋滞」等々に展開できるものであるという。
西成氏は、「渋滞」というキーワードから、学術と現実問題を直接的に解決する架け橋となり、日夜「渋滞」に関心を寄せている。

■「渋滞」の二つの法則
 渋滞がなぜ起こるのかという原因をたどると二つの要因があげられる。それは①外的要因として、外から流れを邪魔するという「ボトルネック」。たとえば高速道路での渋滞は料金所の問題があった。高速道路における渋滞の原因の第一番にあげられていて、30%という高い要因であった。しかしETCができてからは、このボトルネックは解消され、現在は4%となっている。このように外的要因であるボトルネックの問題は、その解決はそんなに難しいことではないと西成氏は語る。
 しかし②内的要因による渋滞の解決は一筋縄でないという。それはとてもわかりにくく、西成氏もその解析にはずいぶん苦労されたとのこと。それでは内的要因による渋滞の原因とは何であろうか。結論から言えば、それは「メタ安定」である。

■「メタ安定」とは
◆渋滞の定義
 メタ安定について理解するために、まず西成氏は「渋滞の定義」とは何かをわかりやすく解説をしてくださった。
私たちにとって身近な渋滞は、やはり高速道路などの車の渋滞である。車の渋滞における定義を問われると、私たちはやはりあいまいな理解でしか答えることができない。西成氏は道路公団の協力を得て、そのデータをもとにして分析し、次のように渋滞を定義した。
渋滞とは、「車の密度が上がったときに、交通量が減少すること」である。道路1キロに車が30台となれば、すでに渋滞となっている。西成氏の試算によれば、1キロの道路に25台という密度になったとき、渋滞が始まるという。基本的に車間距離が40メートルとっていれば決して渋滞にはならないと西成氏は確信をもって語っておられた。車間距離を40メートルにすれば、1キロあたりの車の密度は22台から23台となる。これは渋滞を解消する理論的な数値である。
高速道路を走る運転手が、車間距離40メートルを意識すると渋滞は起こらないことになる。西成氏は運転手に車間距離を40メートルとるように推奨しているが、現実的には横から車が入ってきてどんどん詰めていくといった現象があとを絶たない。それでも西成氏は「車間距離40メートルをとる車が渋滞吸収車となるのは間違いないのです」と強調し、車間距離を40メートルとることを聴衆に訴えていた。
ボトルネックの渋滞は「IN―OUT」」のバランスとれば良いが、車間距離をとろうという人と詰めて走ろうという人との関係で起こる渋滞は、なかなか難しい問題が横たわっているようだ。
西成氏はさまざまな計算と実際の検証実験を繰り返して、渋滞の原理原則を明確にしている。たとえば人が会場から退出することや避難したりするとき、1平方メートルに1.8人となれば渋滞が起こるという。1平方メートルに2人となれば渋滞することがわかっているのであれば、避難するときも間隔を空けるように意識すれば渋滞は起こらない。
人間の歴史よりはるかに永い間、生き延びてきたアリは決して渋滞しないでその隊列を崩さないでいることを西成研究室は証明した。それが学術論文となり、世界的に大きな評価を受けたというのも素晴らしい業績となっている。アリは隊列をつくり歩きながらある種のフェロモンを落としているらしい。そのフェロモンの濃度が濃くなるとアリは一定の距離をつくり、渋滞をしないようにしているとのこと。アリは2億年を生きているという意味では、人間より先輩で、渋滞を緩和する知恵をしっかりもっている。車間距離をどんどん詰めて渋滞を創りだす輩は、アリ以下で知恵もないアホな人たちであると、西成氏はスッパリと断罪する。

◆メタ安定とは
 西成氏がメタ安定こそが渋滞の原因であると突き止めたきっかけとなったのは、首都高速道路の車のデータであったらしい。西成は首都高速を走っていて実にイヤな感覚を受けていたが、それはいったい何なのだろうと疑問をもったという。言いようもない不安と恐怖感はいったいどこから来るのだろうと、データを解析したところ、明確な数値が得られたとスライドで紹介してくださった。
 その横軸に車の密度、縦軸に交通量としたグラフには、交通量がどんどん増えていくのに、車の密度が増えていかない状態が続き、その直後に交通量が減り車の密度が増えるという現象が極端に見受けられる。これは何を意味しているかというと、車間を詰めた状態でかなりのスピードを出して移動している状態が渋滞の前にしばらく続いているということだ。
 これこそ西成氏が指摘する「メタ安定」である。メタとは準ずるという意味で使われており、メタ安定というのは見かけでの安定があっても、ちょっと変化があればすぐに安定が崩れて渋滞になってしまうというものである。
 メタ安定はまさに渋滞をつくりだす直前の状態であり、何かが変化すればすぐに渋滞となってしまう。車間距離をつめて80キロや90キロで走行している状態は、かなり危険であることは運転する人であれば誰もが経験することだ。

◆科学的ゆとり、戦略的ゆとりをもつ
 メタ安定は、何かがあるとすぐに渋滞する状態である。急いでいるからといって車間を詰めると渋滞がうまれ、かえって到着時刻が遅れてしまう。だから積極的にゆとりをもった車間距離をとるべきだと西成氏は主張する。
目前の車が通過した地点を2秒後に通過するように意識すると渋滞が起こらず、スムーズな流れがつくられる。運転手は常に目の前の車が通過する2秒後を意識すべきだと西成氏は教えてくださった。しかしこれは私たちの意識と自覚に任されているので、少々難しいことかもしれない。ボトルネックの解消とは違う次元の問題であるのかもしれない。
そこで西成氏はカーナビのメーカーとタイアップして、車間距離をつめると警告するシステムを開発しているという。「なるほど」と思わず頷いてしまった。
私たちの周囲で起こっている現象で、「急がば回れ」というものも多いようだ。モノづくりの生産ラインでも、消防のバケツリレーでも、仕事の仕方でも、あらゆる場面で「急いで!」と叫ぶことによって、かえって遅くなって効率が悪くなっているということが起こっている。できれば戦略的ゆとり、科学的ゆとりをもつことができるように、仕組みを見直す必要があるのではないかと西成氏は声高に強調をしておられた。

■ムダどりの効用
 そこで、西成氏は「ゆとり」と「ムダ」の違いについて思考を展開していく。はたして「ゆとり」と「ムダ」はどこがどう違うのかを一生懸命に考えて定義をしたという。
 Aさんは「世の中はムダなものばかりだ」と言い、またBさんは「世の中にムダなものはない」と言う。いったいどちらが正しいのだろうか。
 西成氏はこの問題について、「期間設定が問題ではないだろうか」と結論づけた。つまり、Aさんは1年単位でみていると「ムダなものばかり」と感じられるが、Bさんは100年単位でみていて「永い目でみれば、一見ムダに感じられることも人生の大切なものであった」と感じて、あらゆるものに意味を見出すことができるという。
 「ムダ」という議論がかみ合わないとき、何が起こっているかというと、①目的「何のためにやっているのか」、②期間「いつまでに仕上げるのか」、③立場「誰からお金をもらっているのか」という三つの問題があると西成氏は指摘する。
 Aさんも、Bさんも、目的と期間と立場という視点からの発言では実に正しい。しかし両者が話し合うとき、それらが三つの視点がずれていると、まったく議論がかみ合わなくなるという現象がおきるのだ。
 だからこそ、この①目的、②期間、③立場という三つの前提をすり合わせて議論をしなければ、お互いに平行線をたどる他はない。お互いが正しいと信じて主張するから、どこまでも平行線であり、問題の認識もまったく崩れてしまう。真の問題を解決する道を探ることは不可能であると言わなければならない。
 すなわち西成氏にとってのムダというのは「有益でないこと」という定義がなされている。あるものが有益であるかどうかを議論するときには、上記のように①目的、②期間、③立場というものをそろえなければ、真にムダをムダとすることはできない。

■科学的ゆとり、戦略的ゆとり・・・時間のつくり方
 西成氏は、ゆとりのある時間のつくり方を薦めている。まずスケジュールの間に15分ほどの隙間をつくるのが良いという。その隙間の時間がいろいろと考えたり、調整したりするのに丁度良いらしい。
 そして時間のムダどりとして、今日一日で①待った時間、②探した時間、③待たせた時間をノートに書き出すこと。その書き出した項目を見ながら、①待った時間と②探した時間をいかに短縮するかを考える。西成氏にすると、①待つ時間と②探す時間は人生のムダであろうという。

■まとめにかえて・・・思考体力を鍛える
 渋滞を解消し、ムダどりをするためには、個々人の「思考体力」が問われるという。西成氏は、10階のビルに階段で登りきるためには運動体力が必要であるように、10段階の思考を登りきるには「思考体力」が必要であると指摘する。
 この「思考体力」をもった人こそが、できる人であり、すごい人なのだと。その思考体力は①自己駆動力、②多段思考力、③自分を疑う能力、④大局力、⑤場合分力、⑥ジャンプ力の6つをあげている。(詳しくは西成氏の著作を参照のこと)
 この「思考体力」を鍛えるためには、まず時間管理と自己管理を徹底しなければならないと西成氏は指摘する。自己管理は「IN―OUT」バランスをとりことであり、時間管理は隙間時間をもちながら、待つ時間と探す時間を減らすことであるという。
 最後に、西成氏の渋滞解消への強い思いは、さまざまな業界に希望の光を与えているのではないだろうかと思う。「流れる」というキーワードから渋滞解消の道を開き、渋滞の本質は人間の内的な要因であることを突き止めた。
 私たちは車間40メートル、2秒後に前車の通過地点を通過するように意識することから、自分のためではなく、全体の流れを止めて渋滞を起こしてしまわないような内的要因を意識してみよう。その成果を実感すれば、あらゆる渋滞への意識が、自己中心から起こっていることを痛切に感じることになるだろう。その気づきが、社会に少し良いことをしようという意識につながり、より良い社会づくりへと貢献することができるのではないだろうか。
 西成氏の渋滞解消法は、より良く生きるための人生哲学にも通じるのではないかと感じた人は少なくないだろう。